2016年10月20日木曜日

掛物 掛軸 風帯 掛緒 巻緒

掛物 ・・ 掛軸とも言う。

掛物の表具(軸表装)には、色々あるようだが、
よく目にするのは、図の様な表具が多い。


本紙
一文字
中回し(ちゅうまわし) ・・ 中縁(ちゅうべり)とも言う
上(じょう)下(げ) ・・ 天地(てんち)とも言う
風帯(ふうたい)、露(つゆ)
表木(ひょうぼく)
掛緒(かけお)、巻緒(まきお)
軸先(じくさき)、軸木(じくぎ)

等々から出来ている。
名称は、様々に言われていて、一定していない。

「風帯」には、普通、「一文字」と同じ裂を使う。
時には、「中回し」と同じ裂を使ってあるものもある。

「露」は、「風帯」の下端の左右に付いている綿の糸。
「露」を摘まんで「風帯」を扱う。
普通「露」は白色だが、色が付いている「露」もあり、「花」と言うらしい。
中でも薄い黄色の「露」は、「水」と言うらしい。

「風帯」には、普通折り目が付いているが、折り目を直そうと思って押さえ過ぎないように注意する。
折り目は付いていて宜しい。
貴方の為に箱から出してきたばかりですと言っている様に見える。

「掛緒」を「掛物釘」に掛けて、掛物を掛ける。
「掛物釘」は、表千家では竹を使う。

掛物を掛けている時には、「巻緒」は「掛緒」の端まで移動させる。
床の勝手付きの方の「掛緒」の端に持ってくる。

掛物を巻きあげた時に、一番外の「表木」の横に「外題」(げだい)が貼ってある物もある。
軸の内容を記してある紙である。

習事にある「軸飾り」は、「外題」を客に見せる為に、巻いたままの軸を床に飾った「外題飾り」から始まっている。
室町時代に、能阿弥などの同朋衆が軸の内容を極めて、外題にそれを記したことによる。


下記も参照
2015年11月3日 「掛物と後ろの壁
2015年9月23日 「床の掛物と花入


2016-10-25 修正


このページ最下部の「ホーム」をクリックすると、私のブログのホームに飛びます。

2016年9月20日火曜日

茶事 懐石 元伯宗旦 覚々斎

三代 元伯宗旦は、懐石について、時期の物を新しく調理して出しなさいと言っている。

次の様に言っている

時ならぬ肴 出し候事あしき也
或は 口切に青豆 はじかみ 鮎のうるかなど 夏の季の物を出すこと わるし
また 風炉の時 冬の季のもの出すべからず
総じて茶の湯料理とは 当座のものを 当座当座あたらしく調理するを専らとす
勝れて珍しきものは 悪し
初物は出してもよし


はじかみ ・・ 生姜、山椒の古い呼び名


六代 覚々斎には次の有名な文がある。

料理 賞められ 無念に候
料理人にては これなく候
その茶 面白からざる故 料理ほめ申候事也 (ほめ もうし そうろう ことなり)




2014年11月9日 「茶事 懐石の材料 三代宗旦」に追加して修正。



このページ最下部の「ホーム」をクリックすると、私のブログのホームに飛びます。

匁 斤 重さ

「匁(もんめ)」:  重さの単位、明治以降 1匁=3.75g。

五円硬貨は3.75gで、ちょうど1匁に相当する。

江戸時代には、時期によって変動するが、1匁=3.75g弱 で推移している。

お茶も、1匁=3.75g
お茶の1斤(きん)=200匁=750g

極(濃茶)には、 20匁(75g)、10匁(37.5g)、5匁(18.75g)入り袋がある。

茶師が入日記に、詰めたお茶の一覧、年月日、茶師名を記し、茶壺の箱の蓋裏に貼り付ける。

現在の日本の法定単位では、「匁」は真珠の計量にのみ使われている。

明治の度量衡法では、
1匁(もんめ)=3.75g
1斤(きん)=160匁=600g
1貫(かん)=1,000匁=3.75kg

明治24年制定の度量衡法により、上記の単位になっていたが、
尺貫法の廃止に伴い昭和34年以降法定単位ではなくなった。

日本では「斤」の呼称が商品の建値にも使われて、さまざまの大きさの斤が発生した。

例えば、
薬屋が使った大和目(やまとめ)は180匁、
山椒(さんしょう)用は60匁、
お茶用は200匁、
紅花(べにばな)用は100匁、
実つき木綿用は600匁が それぞれ1斤である。

舶来品(パンも含む)に対しては、1ポンドに値が近い120匁(450g)を1斤とし、これを英斤(えいきん)と呼んだ。

現在の日本の法定単位では、「斤」は食パンの計量にのみ使われている。
これはパンが英斤を単位として売買された歴史に由来する。

但し、1斤として売られるパンの重さは時代とともに少なくなっている。
現在、公正競争規約は、食パンの1斤=340g以上と定めている。

なお、重さではなく長さの単位である「間」も測る対象によって寸法が異なる。
2019年2月14日 「長さ 寸法 間 尺」を参照。

2016年9月19日 「茶壺 口切り」 を参照。
このページ最下部の「ホーム」をクリックすると、私のブログのホームに飛びます。

2016年9月19日月曜日

茶壺 口切り

立春から88日目の八十八夜頃(5月2日頃)に摘んだお茶の葉を、
直ぐに蒸して発酵を止め、さらに葉脈の様な不純物を取り除いて、
揉まずに精製したお茶の葉を「碾茶(てんちゃ)」と言う。
抹茶は、濃茶も薄茶も、碾茶を茶臼でひいて粉にしたもの。

昔は、碾茶を詰め、木で作った口蓋をし、更にその上から和紙で封をした状態で、茶師から戻って来た茶壺を、風通しの良い冷暗所で一夏熟成させた。
吐く息が白くなる頃、柚子の実が黄色くなる頃、風炉から炉に替えて、その年の新茶(碾茶)を茶臼でひいて口切りをする事になっていた。

濃茶は「極(ごく)」と呼ばれ、茶銘別に和紙の袋に詰められて、茶壺に入れられる。
更に、その周りを薄茶の茶葉(碾茶)で埋める。
その上で、茶壺に蓋をし、更に和紙で封をする。

この茶壺の口封を切って、その年の初夏に摘んだお茶を初めて使い始める事を、「口切り」と言う。

「極」は、二十匁(75g)ないし十匁(37.5g)、五匁(18.75g)を和紙の袋に詰める。

茶壺を納めた箱の蓋の裏に、「入日記(いりにっき)」と言われる紙に、詰められたお茶の一覧、年月日、茶師名を記入し、貼り付けてある。
この入日記は、毎年前年の入日記の上に張り付けて行く。
例えば、30年にわたって同じ茶壺にお茶を詰めさせていれば、30枚の入日記が箱の蓋裏に貼ってあり、過去30年の詰めたお茶の歴史を見る事が出来る。

現在では、茶壺は儀式用(口切り用)としてだけ残っている。

私は茶壺にお茶を詰めて貰って、口切りの茶事をした事はないが、毎年茶壺の口切りをして茶事をされる方もおられる。
その様な方の口切りの茶事に呼ばれて多く貼られた入日記を拝見すると、その方の茶人としての歴史を感じて壮観である。

現在は、一年中何時でも粉に挽いてある抹茶を自由に手に入れられる様になっているので、
「名残り」「口切り」と言っても実感の伴わないものになってしまっている。
風炉の時期にはお茶の勢いも弱っているから釜に水を加えると言う濃茶の点前も、空しい形ばかりのものになっている。

「匁」は、重さの単位。
明治以後、1匁=3.75g。
五円硬貨は3.75gで、ちょうど1匁に相当する。
江戸時代は、時期によって変動するが、平均して 1匁=3.75g弱である。

茶壺


茶壺の口から見た「極」の袋、周りの茶葉(碾茶)は薄茶。



茶壺の中身
濃茶の袋。ザルの中は周りに詰めてある碾茶の薄茶。



入日記


下記も参照。
2015年5月9日 「薄茶の点て方 お茶の量 お湯の量
2016年9月20日 「匁 斤 重さ


2016-09-22 修正


このページ最下部の「ホーム」をクリックすると、私のブログのホームに飛びます。

2016年9月6日火曜日

三重棚と二重棚

三重棚(さんじゅうだな)

一閑    久田宗全 好み   (千家五代 随流斎の兄)
桐木地  千家六代 覚々斎 好み (久田宗全の子)
桑木地  千家七代 如心斎 好み (覚々斎の子)

三重棚は久田宗全が初めて好んだが、その後父子三代にわたって三重棚を好まれている。

三重棚は、普通炉の時期だけに使う。

三重棚の天板は、ない物として扱う。


二重棚(にじゅうだな)

三重棚を基に、千家十代 吸江斎が溜塗二重棚を初めて好んだ。

吸江斎好みの二重棚には、地板がないが、地板のある二重棚も、明治以後宗匠方によって、好まれている。

溜塗    十代 吸江斎 好み     地板なし
糸巻    十一代 碌々斎 好み   地板なし
桐木地  十二代 惺斎 好み     地板なし
桑木地  十二代 惺斎 好み     地板なし
飛騨春慶糸巻 十二代 惺斎 好み  地板あり
杉木地糸巻 十二代 惺斎 好み   地板あり
糸巻透かし 十二代 惺斎 好み    地板あり

二重棚は、炉風炉共に使う。

地板がない二重棚では、水指は運び。
柄杓・蓋置を飾り残すので、蓋置は竹でなく焼物等を使う。
柄杓・蓋置は、天板に「入り飾り」又は天板右端に「リ飾り」で飾り残す。
下の棚には、薄茶器。


三重棚


吸江斎好み 溜塗二重棚


惺斎好み 杉木地糸巻二重棚


十代 吸江斎


2016-09-07 修正


このページ最下部の「ホーム」をクリックすると、私のブログのホームに飛びます。

2016年8月16日火曜日

平水指 割蓋

平水指 割蓋

啐啄斎好み「立浪蒔絵 割蓋 朝鮮平水指」、
即中斎好み「芦水蒔絵 割蓋 万古青磁平水指」 などがある。

風炉敷板より畳目1目奥に水指を据える。

運びの道具立てではあるが、蓋置は竹に限ることはない。
柄杓・蓋置を置き残す時は、焼物などの蓋置にする。
焼物であれば少々侘びた物が良い。

柄杓・蓋置を水指の蓋に置き残す時は、湯返しをしない。
入り飾りの様にして残す。

割蓋ではないが、平水指の一枚蓋の場合は、蓋のツマミが邪魔になるので、
柄杓・蓋置は、置き残さない。

2016年4月6日「大水指 大壷水指 炉」 を参照。


濃茶では、

仕服は、風炉と水指の間の奥の方に寄せて置く。

茶巾は、割蓋の開ける方(左側)の手前に置く。

薄茶では、

中仕舞いはしない。
棚の場合と同じく、点前の終わりには水指前に茶器・茶碗を置き合せる。

2014年11月13日「中仕舞 炉 濃茶 風炉 薄茶 広間
2014年11月13日「本仕舞 点前の終わり
を参照。


尚、平水指でなく、普通の水指に割蓋の時には、

合せ目は、平水指と同じ様に縦にして置き、釜に近い方の蓋を開ける。
広間であれば、
風炉では、左側の蓋を開け、炉では右側の蓋を開ける事になる。

蓋の開け方は、平水指の場合と同じ手の使い方で開ける。
左側の蓋を開ける時は、右手で右の蓋を押え、左手で開け始め、手を替え右手で開けきる。
右側の蓋を開ける時は、左手で左の蓋を押え、右手で開け始め、手を替え左手で開けきる。
開けている手の反対の手で、蓋が動かない様に押えて置くのは同様。

濃茶では、開ける方の蓋の上に茶巾を載せる。




啐啄斎好み「立浪蒔絵 割蓋 朝鮮平水指」




2016-9-29 修正
2018-12-16 追加


このページ最下部の「ホーム」をクリックすると、私のブログのホームに飛びます。

2016年8月14日日曜日

棗 濃茶入としての扱い

棗は、蒔絵等していない、真塗又は黒の棗を使う。

棗に入れる濃茶の量

大棗 ・・ 人数分計り切り
中棗 ・・ 常の茶入と同じ
小棗 ・・ 人数分計り切り、又は 常の茶入と同じ

仕服の部分名称は、2014年11月3日「仕服の紐 緒縒」を参照。

小棗・中棗の扱い (仕服をぬがせる)

膝前に小棗(中棗)を取って、「緒(お)」の結び目を一つほどき、左掌に載せ、
右手で残りの結び目の「緒」を引いてほどき、
緒の「打止め」を右手の親指・人差し指でにぎり、
同じ右手の中指・薬指で仕服を押えながら、「緒」を引き出す。

右側の打止めの方の「縒(つがり)」の端の部分を、右手の人差し指・中指で押えておいて、
同じ右手の親指と薬指で「つがり」を広げながら、「緒」をゆるめる。

次に、左側も同じ様にして、

仕服の口の部分を右、左とくつろげて、
右手で棗を膝前に取る。

左掌にある仕服は、常のとおりに扱って処置する。

棗は、常の様に帛紗で清める。
四方さばきをして、蓋の上を「こ」の字に拭き、甲拭きもする。

女子は、小棗・中棗も常の茶入と同じ様に扱って仕服を脱がせ、四方さばきした帛紗で清める。甲拭きはしない。

小棗の場合、
膝前で「緒」の結び目をほどかず、全て左掌の上で行っても良い。

大棗の扱い (仕服をぬがせる)
常の茶入と同じ扱い。

小棗・中棗の扱い (濃茶を掃く)

薄茶の時と同じく、茶杓を握り込んだ右手で、蓋を取り、茶碗の横に蓋を置いて、
濃茶を茶碗に掃き、掃き終わったら、
茶杓を茶碗で一つ打って、お茶を払い、
右手に茶杓を握り込んで、蓋をして、棗を茶筅の横に戻す。

右手の茶杓でお茶をさばき、茶碗で二つ打って、お茶を払い、
茶杓を棗の上に戻す。

濃茶を人数分計り切りに入れている場合は、
先ず、1人分位を茶杓で茶碗に掃き、
その後、お茶を茶杓で掻き出して、茶碗に入れる。

茶杓で細かく掻き出して、お茶が棗に残らない様にする必要はない。
大きく掻き出して、少し棗に残っても良い。

女子は、小棗・中棗も常の茶入と同じく、茶杓を茶碗に預ける等同じ扱いをする。.

大棗の扱い (濃茶を掃く)
常の茶入と同じ扱い。


2015年12月13日「包み帛紗 濃茶 棗」も参照。



このページ最下部の「ホーム」をクリックすると、私のブログのホームに飛びます。