2016年9月19日月曜日

茶壺 口切り

立春から88日目の八十八夜頃(5月2日頃)に摘んだお茶の葉を、
直ぐに蒸して発酵を止め、さらに葉脈の様な不純物を取り除いて、
揉まずに精製したお茶の葉を「碾茶(てんちゃ)」と言う。
抹茶は、濃茶も薄茶も、碾茶を茶臼でひいて粉にしたもの。

昔は、碾茶を詰め、木で作った口蓋をし、更にその上から和紙で封をした状態で、茶師から戻って来た茶壺を、風通しの良い冷暗所で一夏熟成させた。
吐く息が白くなる頃、柚子の実が黄色くなる頃、風炉から炉に替えて、その年の新茶(碾茶)を茶臼でひいて口切りをする事になっていた。

濃茶は「極(ごく)」と呼ばれ、茶銘別に和紙の袋に詰められて、茶壺に入れられる。
更に、その周りを薄茶の茶葉(碾茶)で埋める。
その上で、茶壺に蓋をし、更に和紙で封をする。

この茶壺の口封を切って、その年の初夏に摘んだお茶を初めて使い始める事を、「口切り」と言う。

「極」は、二十匁(75g)ないし十匁(37.5g)、五匁(18.75g)を和紙の袋に詰める。

茶壺を納めた箱の蓋の裏に、「入日記(いりにっき)」と言われる紙に、詰められたお茶の一覧、年月日、茶師名を記入し、貼り付けてある。
この入日記は、毎年前年の入日記の上に張り付けて行く。
例えば、30年にわたって同じ茶壺にお茶を詰めさせていれば、30枚の入日記が箱の蓋裏に貼ってあり、過去30年の詰めたお茶の歴史を見る事が出来る。

現在では、茶壺は儀式用(口切り用)としてだけ残っている。

私は茶壺にお茶を詰めて貰って、口切りの茶事をした事はないが、毎年茶壺の口切りをして茶事をされる方もおられる。
その様な方の口切りの茶事に呼ばれて多く貼られた入日記を拝見すると、その方の茶人としての歴史を感じて壮観である。

現在は、一年中何時でも粉に挽いてある抹茶を自由に手に入れられる様になっているので、
「名残り」「口切り」と言っても実感の伴わないものになってしまっている。
風炉の時期にはお茶の勢いも弱っているから釜に水を加えると言う濃茶の点前も、空しい形ばかりのものになっている。

「匁」は、重さの単位。
明治以後、1匁=3.75g。
五円硬貨は3.75gで、ちょうど1匁に相当する。
江戸時代は、時期によって変動するが、平均して 1匁=3.75g弱である。

茶壺


茶壺の口から見た「極」の袋、周りの茶葉(碾茶)は薄茶。



茶壺の中身
濃茶の袋。ザルの中は周りに詰めてある碾茶の薄茶。



入日記


下記も参照。
2015年5月9日 「薄茶の点て方 お茶の量 お湯の量
2016年9月20日 「匁 斤 重さ


2016-09-22 修正


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