2017年2月5日日曜日

面桶 曲げ建水 こぼし

「曲(まげ)建水」を「面桶(めんつう)」とも言う。

杉板を曲げて、桜皮などでとじて作ってある。

木地の物は本来使い捨てのものなので、使われた後に理由があって塗られた物が残るなどの他は、古い木地の面桶は殆ど残っていない。

現在では、初めから塗り物(溜塗、春慶塗など)になっているものもある。

武野紹鴎や利休が工夫したとの説がある。

天正18年(1590年)、秀吉が小田原城攻めの後に湯治中の有馬温泉で茶会を催したが、
その有馬茶会の道具組や客組を、秀吉の同朋衆から有馬の阿弥陀堂に知らせた手紙(五島美術館蔵)に、
「水こほし めんつう」「利休茶たう(茶頭)被仕候也」とあるので、
その頃、面桶の建水を利休が使っていたのは間違いない。

木地の曲建水は、専ら小間に用いる。
風炉 炉共に用いる。

更に、木地曲建水と青竹引切り蓋置を取り合わせると、格調の高さと清新さをお客に与えると共に、他の道具を引き立てる効果がある。

「面桶」とは、元々、顔を洗う水を入れる桶であった。

曹洞宗の開祖「道元」が1200年代中頃に著した「正法眼蔵」の「洗面」の中に出て来るそうだ。

いつの間にか、食べ物を入れる曲物を面桶(めんつう)と言うようになった。
江戸時代には、乞食が施しを受ける器(陶器でも金属でも)を面桶(めんつう)と言うようになった。

落語中興の祖と言われている三遊亭圓朝(幕末から明治に活躍)の三題噺(大佛餅)の中に、乞食に対して「めんつうを だしな」と言う場面が出て来るそうだ。

2017-2-6 修正



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2017年1月12日木曜日

手紙 名宛人・差出人 書き方

手紙などの名宛人、差出人の名前をどう書くか、最近思う事があり、
一番無難で、悪感情を持たれない書き方について、現時点の私の書き様を記してみた。

「宛名にも自分の名前にも、『姓名』を書く」 である。

世間の人は様々で、平等が一番と考えている人もいれば、昔風の考えの人もいるので、
特に礼状を書く場合には、
自分の感謝の気持ちが打ち消されてしまわない書き方にした方が無難だと思う。

手紙の書き方の本や辞典類に色々書いてあるが、本を頭から信用しない様にしたい。
岩波書店の「広辞苑」等に書いてある事柄を絶対に正しい等思っていると、
大恥をかくことがあるので、間違っていることも書いてあると思っておいた方が良い。

夏目漱石が東京帝大の講師だった頃からの門下生に対して、手紙の末尾の書き方を教えた手紙があるそうで、
それには、

名宛人が尊敬する人の場合は、「姓のみ」又は「号」を書く。
自分は、「名だけ」書く。

差出人が自分の「号」を書くのは失礼になる。

と書かれている。

相手が恩師・師匠の場合は、「先生」と必ず書く。

私は師に対して「様」と書いた為、師から「師匠に向かって「様」と書いて手紙を出す馬鹿がいる」とこっぴどく叱られたことがあり、以降「先生」としか書いたことがない。

明治大正の世とは変わって、現在は宛名や呼び名に対する感覚が違って来ており、相手の「姓」だけ書くのは略式の様な感覚になっているので、
尊敬する人に対しても同等の人に対しても「姓名」を書いた方が無難になっている。

自分の名前も、現在では「名だけ」では略式の様な感覚になっているので、「姓名」を書いた方が良い。

昔風の、尊敬する人には「姓のみ」書く、
現在の感覚の、「姓」だけでは略式に感じる、
ことの両方から、
自分の名前を「姓のみ」書くのは、横柄な奴だと思われる可能性がある事を知っておく必要がある。

昔風の考え方の人にとっては、
自分の「姓のみ」書くは、自分は尊敬されるべき人間だと表現している様に感じると言うことです。

以上は、礼状や目上の方などに宛てる時の書き方であり、
同等の人や家族、親しい人に宛てる場合には、自分の好きにすれば良いだろう。

自分の「姓のみ」書くも、親しい関係の人との間では全く問題ないと私は思います。


下記も参照
2015年1月14日 「茶事 案内状 返書 前礼 礼状
2019年2月14日 「茶事 案内、前礼、礼状の実際

2017-1-17 修正


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2017年1月10日火曜日

小間 台目切 初炭点前 羽箒・香合

炉 初炭
炭点前の順序は、広間四畳半切 大棚(長板)とおおよそ同じ。

隅棚や釣棚がある場合には、初座には棚に羽箒・香合を飾る。
中柱には、普通袋釘を打ってあるので、袋釘がある場合は、羽箒を袋釘に掛ける。
釣棚の下段中央に香合を飾る。

炭斗、灰器を持って出て、置き付ける。

中柱がない場合、
棚の方に向かい、右手で羽箒を取り、左手であしらって、膝前に置く。

次に香合を右手で取って、左手に持たせ、
右手に羽箒を取って、炉に向き直り、羽箒を置き、
次に左手の香合も右手に取って置く。

女子は別々に置く。
棚に向かって、右手で羽箒を取って、左手であしらい、
右手に取り直して、右手に持たせ、炉に廻って羽箒を置く。

又、棚に向き直って、香合を取り、左手に持たせ、炉に廻って香合を置く。

羽箒は、最初は炭斗と炉縁の間の炉に近く置き、羽箒を使った後は香合の右に縦に置く。
香合は、炭斗正面の縁内に置く。

羽箒・香合を置き付けてから、釜鐶・火箸を炭斗から下ろす。
釜鐶は、炭斗手前の縁外に置く。
火箸は、炭斗と羽箒の間に置く。
炉縁→羽箒→火箸→炭斗と並ぶ。

中柱に袋釘がある場合、

中柱の方に向き、左手で羽箒を取り、右手で膝前に置いてから、
次に香合を右手で取って、左手に持たせ、
右手に羽箒を持って、炉に向き直り、羽箒を置き、香合も右手に取って置く。

女子は別々に取って置く。

袋釘に掛けた羽箒を左手で取るについて、文字だけ見ると、右手の方が取り易そうに感じるが、
実際自分で羽箒を取ってみると、右手では非常に取りにくい、左手の方が取り易い。


下記も参照
2020年12月9日 「抱清棚 初炭 羽箒の扱い
2016年1月11日 「炉 長板 諸飾り 炭点前
2015年1月7日 「炭台 炭点前 炉
2014年11月13日 「羽箒 羽根 炭点前

2014年12月2日「羽箒と香合 炉 初炭 台目柱」は、この項に統合して、削除した。
2017-01-10 修正
2017-10-26 修正
2020-12-9 修正

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隅炉 炭点前 拝見

隅炉を持っていないので、点前について私は殆ど知識がない。
風炉の本勝手とほぼ同じにすれば良いと思う。

客になる事はあると思うので、
その場合の留意点だけ書いておく。

隅炉の炭点前では、
客は炉の近くに寄って拝見することは出来ない。

正客は、炭点前の終わりに香合の拝見を請うた時、炭の拝見も請う。

亭主が、灰器を持って退出し、茶道口に控えるので、

客は、正客から順に炉の近くに拝見に出て、自席に戻る。

亭主は、再び席に出て釜を掛ける。

後は同じ。

表千家にはない風炉の炭拝見と同じ。

下記も参照
2015年10月19日 「茶事 炭拝見 風炉



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2016年12月12日月曜日

重ね茶碗 茶事 今と昔

現在の「重ね茶碗」(島台茶碗も含む)は、多人数の客に濃茶を振舞う為のものであるが、
昔の重ね茶碗は、小人数の客にも用いられた。

天王寺屋会記には、
永禄11年(1568年)5月11日の津田宗及の自会(客3人)の茶事で、
「灰被天目 志野茶碗 二ツ重而茶立候」 (灰被り天目 志野茶碗 二つ重ねて茶点て候)
と出ている。

灰被天目茶碗と志野宗信旧蔵の青磁茶碗の唐物2椀を二つ重ねて持ち出して点前をしている。

重ね茶碗の点前は、室町時代から既に行われていたのが分かる。

江戸時代後期(文政10年11月、1828年)にも、十代 吸江斎が紀州徳川家 治宝公に、旦入作の小振りの島台茶碗でお茶を差し上げているので、まだこの時代にも小人数の茶事にも重ね茶碗が使われているのも分かる。


天王寺屋会記 :
堺の豪商 天王寺屋 津田宗達・宗及・宗凡三代の自他会記。
1548年~1590年。

下記も参照
2014年11月9日 「島台茶碗 如心斎 重ね茶碗
2015年12月23日 「重ね茶碗 島台茶碗 客の作法
2015年12月23日 「重ね茶碗 島台茶碗 亭主の点前 炉
2015年2月8日  「会記  茶会記


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2016年12月6日火曜日

置き道庫 広間 炉 濃茶

家元の祖堂は、道安囲いになっており、点前座の勝手側(左側)には引き戸が付いて、道庫が仕組まれている。
この道庫には底が付いておらず、持ち運びが出来るようになっている。

このような道庫を広間に置いて、棚物として使う特殊なやり方がある。
台目棚と同じ様に、広間で小間の台目切りの稽古をする為に、道庫を棚として使っていると思われる。

水指、茶入、茶碗の置き様は、小間本勝手台目点と同じにする。 (台目棚の時と同じ)

水指は、道庫の中、右半分の中央、奥行きの真中。
茶入は、道庫の手前、左右中央。
茶入と茶碗は、道庫の手前、左右中央に置き合せる。

水指は、運び。

身体は外隅中心に座る。

茶入の仕服は、緒つがりを持ち、左手で道庫の竹釘に、緒の輪の方を掛ける。
仕服の口は、道庫の奥の方を向く。

茶入と茶筅も、道庫の手前、左右中央に置き合せる。

居前から水指の蓋を取る時は、右手→左手→右手、
蓋をする時は、そのうち返し。

御三器拝見の時、
茶入を取る時、身体は棚正面に向く。
茶杓を取る時、身体は居前に向いて取る。 女子は棚正面に向いて、茶杓を取る。
仕服は、居前から左手で取る。 女子も同じで居前から左手でとる。

柄杓と蓋置を飾る時は、棚正面に向き、建水の上から左手で柄杓を取り、右手で道庫の右側に打ってある竹の柄杓釘に掛ける。

柄杓は、湯返しをしない。

次に、蓋置を左手で取り、右手で柄杓の柄の下辺りに置く。



下記も参照
2021年6月19日 「竹の蓋置
2016年12月1日 「柄杓湯返し 竹蓋置 広間
2016年3月5日 「抱清棚
2014年11月3日 「仕服の紐 緒縒



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2016年12月1日木曜日

柄杓湯返し 竹蓋置 広間

柄杓の湯返し

棚として作ってある物(棚)に、柄杓を飾り残す時には、基本的に湯返しをする。
塗りの棚でも木地の棚でも、湯返しをする。
桐木地の丸卓、木地の旅箪笥も同様で、湯返しをする。
棚ではないが、風炉の大板の場合も、湯返しをする。
蓋置も焼物の蓋置を使う。

水に濡れる物として作ってあるものに、柄杓を置き(飾り)残す場合は、湯返しをしない。
平水指の蓋、水ガメの蓋、大口の蓋など。
但し、ツマミが付いている蓋には、柄杓蓋置は置き残さない。
ツマミが邪魔になるからである。

柄杓を飾り残す場合には、蓋置も一緒に飾り残す。
その場合の蓋置は、竹を使わない。 焼物などを使う。

大瓶水指、大口水指
 柄杓は、湯返しをしない。
 普通、蓋置は焼物を使う。
 竹の蓋置を使う時には、柄杓蓋置共に置き残さない。

平水指
 柄杓は、湯返しをしない。
 蓋置は、普通、焼物を使い、置き残す。 竹の場合には、柄杓も共に持って帰る。



抱清棚 (水指は運び)
 柄杓は、湯返しをしない。
 蓋置は、竹を使う。


抱清棚のように、柄杓釘がある棚では、柄杓の湯返しはしない。

抱清棚や台目棚、置き道庫などの小間の雰囲気を広間で味わおうとして工夫されている棚では、
竹の蓋置を使うが、小間と同じように柄杓蓋置を飾り残す。
柄杓の湯返しはしない。小間の場合と同じ様に扱う。

抱清棚では、中の棚板を引き出して、旅ダンスと同じく芝点の扱いも出来る。


風炉 大板 (水指は運び)
 柄杓は、湯返しをする。
 蓋置は、普通、焼物を使い、飾り残す。 竹の場合には、柄杓も共に持って帰る。 



なお、
風炉 中置の場合も水指は運び出すが、敷板は小板であるので、
柄杓・蓋置を飾り残すことはない。
よって、柄杓は、湯返しをしない。 又、蓋置は竹を使う。


竹台子 風炉一つ置き (水指は運び)
 普通、蓋置は焼物を使い、柄杓も飾り残す。柄杓は湯返しをする。
 竹の蓋置の場合には、柄杓は湯返しをせず、柄杓蓋置共に持って帰る。



大棚、長板 二つ飾 ・・・ 「風炉釜」 「水指」を飾る。
 天板の中央に茶器を飾る。
 竹の蓋置を使う。
 柄杓・蓋置は、台子・長板の左端前の畳の上に蓋置を置き、柄杓を引く。
 柄杓・蓋置は、台子・長板には飾り残さず、水屋に持ち帰る。
 薄茶点前に限る。


下記も参照
2021年6月19日 「竹の蓋置
2016年5月11日 「風炉 大棚、長板
2015年5月27日 「竹蓋置
2014年10月21日 「柄杓と蓋置 扱い
2015年2月17日 「青竹の蓋置、灰吹き 茶事
2015年2月17日 「黒文字 青竹 保存方法
2015年10月6日 「柄杓・蓋置 飾り残し
2016年1月11日 「柄杓を構える 左手 握り方
2016年4月6日 「大水指 大壷水指 炉
2016年4月7日 「大水指 大口 炉
2016年8月16日 「平水指 割蓋
2016年3月5日 「抱清棚
2014年11月23日 「竹台子 一つ飾り

2016-12-25 修正
2018-12-16 追加


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