2017年12月18日月曜日

瓢(ふくべ)炭斗

口切りの頃に好んで使われる炭斗に、瓢(ふくべ)の炭斗がある。

干瓢(かんぴょう)を作るウリ科ユウガオの実(瓢箪、ヒョウタン)の大きい物を乾かして、上部を切り取り、炭斗にした物。

夏にユウガオの実を収穫して、乾燥させ、切って炭斗に細工する頃が、丁度口切りの時期に当たったので、口切りのお茶に好んで使われたらしい。

現在では、開炉から年内位の間の炉の炭斗としてよく使われている。

ふくべの炭斗の底面は平らではないので、通常の炭斗の様に炭を決められた様に並べて組む事はない。

炭は、乱組(らんぐみ)に入れる。
炭の数や組み方に決まりはない。

一例を上げれば、
丸ギッチョを一つ横にして、向こう寄りに入れる。
それに丸ギッチョと割ギッチョを交互に立てかけて入れ、
点炭をさらに手前に掛けて入れる。
右側に丸管と割り管を並べて入れる。
胴炭を丸ギッチョと割りギッチョの上にのせる。
枝炭2本(二本立と三本立)を、先を下にして右手前の縁に掛けて管炭の上あたりに置く。
枝炭は、常の入れ方とは上下を逆にして入れる。
香合は、炭斗の中の適当な所に入れる。
羽箒・火箸・鐶・釜敷を常の様に仕組む。

炭のつぎ方は、常の炭斗と変わる事はない。




胴炭を丸ギッチョ・割りギッチョの上に乗せずに、
丸ギッチョを横にして置いた辺りに、胴炭を横にして置く事も出来る。



手付きのふくべの炭斗は、老人用として使われる。
手は縦にして用いる。

改まった口切りなどには、紙釜敷を使うこともある。

次も参照。
2014年12月30日 「紙釜敷 炉 風炉
2015年1月7日 「炭台 炭その他の配置
2015年1月7日 「炭台 炭点前 炉
2016年1月11日 「炉 長板 諸飾り 炭点前
2016年5月11日 「炉 炭点前 炭斗動かす 羽箒


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2017年11月22日水曜日

四方棚 柄杓・蓋置

昔は四方棚を「半台子」「利休水指棚」「角棚すみだな」とも言った。

利休形 ・・ 桐木地、四隅は直角、本歌は、家元に伝来している。
江岑好み ・・ 桐木地、四隅を丸くしている。
惺斎好み ・・ 松の木、摺り漆、縁は溜塗、四隅は丸い。
惺斎好み ・・ 青漆、爪紅、四隅は丸い。
而妙斎好み ・・ 真塗、利休形を真塗にした。
その他塗物で色々作られているが、主に炉用として使われる。
風炉釜の大きさによっては風炉に使っても良い。
即中斎好みの小四方棚(一閑張溜塗爪紅)は、主として風炉に使われるが、炉にも使うことが出来る。

柄杓・蓋置の飾り残し方は、
入り飾り、もしくは
天板の左端に柄杓を縦に真っすぐに引き、蓋置は地板の柄杓の下辺りに置く。

柄杓を棚に飾る時や飾った柄杓を取る時には、
居前に坐っていても、棚正面に座っていても、右手を使う。

点前の終わりに柄杓・蓋置を飾る場合、

(1)天板に茶器がなくて、居前から「入り飾り」に飾る時、
居前のままで、右手で柄杓の切り止め近くを握り、天板に飾る。
柄の先は棚から5分~1寸程手前に出る。
次に、蓋置を取り、左手にのせて棚正面に向かい、天板の上で柄杓の左、合の真下、柄杓の節に蓋置が三分の一程かかる位に置く。

(2)居前から「柄杓を天板左端」に飾る時、
居前のままで、右手で柄杓の切り止め近くを握り、天板に飾る。
天板左端(左端より六分の一ほど右寄り)に真っすぐに置く。
柄の先は棚から5分~1寸程手前に出る。
蓋置を取り、左手にのせて棚正面に向かい、地板の左端手前、柄杓の真下あたりに置く。
柄杓を天板左端に飾る時には、薄茶器も同時に飾っておく。

(3)棚正面で「柄杓を天板左端」に飾る時、
建水から柄杓を取り、右手で柄杓の切り止め近くを握って、天板に飾る。
左手で蓋置を取り、右手で地板の左端手前、柄杓の真下あたりに置く。




2015年10月6日 「柄杓・蓋置 飾り残し」も参照

2017-12-31 写真を入替
2020-01-28 而妙斎好みを追加


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2017年10月26日木曜日

風炉 台子(又は長板)一つ置き/大板 柄杓・蓋置

風炉
台子(又は 長板)一つ置き 及び 大板の時の柄杓・蓋置の扱い

台子または長板の一つ置きの場合

(始まり)
左手に柄杓を構え、
右手で蓋置(親指は蓋置正面)を、正面右向きにして風炉の左側手前(地板の上)に置く。
柄杓を右手に持ち直し、蓋置に真横(地板の上)に引く。

女子は、
柄杓を建水に戻し、右手に持った蓋置を左手の上で正面を直し、右手で置く。
柄杓を左手で取って、右手で蓋置に真横に引く。

台子(又は長板)の場合、
柄杓の節は、風炉の中央辺りに来る。

(終り)
水指の蓋を閉めた後、
拝見があっても、なくても、
湯返しをした柄杓・蓋置を先ず飾る。

先ず、右手で柄杓を取り、構える様に左手に持ち替え、右手で左手の少し上(節の少し上)を持ち、左手を柄杓の切り止め近くに下げて(横からではなく、上から持つ)、
左手で柄杓を地板の上、左側に、柄杓の合を仰向けにして縦に置く。
柄杓の柄の先は地板から少し手前(五分ばかり)に出る。

その後、蓋置を右手に取って、左手の上で正面を前になる様に持ち替えて、
柄杓の右側に置く。
柄杓の柄から蓋置一つ弱位見計らって離す。
蓋置の向う三分の一位が柄杓の節となる。

大板の場合

(始まり)
左手に柄杓を構え、
右手で蓋置(親指は蓋置正面)を、正面右向きにして大板左端に置く。
柄杓を右手に持ち直し、蓋置に真横に引く。

女子は、
柄杓を建水に戻し、右手に持った蓋置を左手の上で正面を直し、右手で大板左端に置く。
柄杓を左手で取って、右手で蓋置に真横に引く。

大板の場合は、
柄杓を蓋置に引くと、左右が柄杓ギリギリの幅であるので、柄杓の節は風炉中央辺りには来ない。少し右になる。

柄杓の節は、合を含めた柄杓全体の中央にはなく、合を除いた柄の中央あたりにあるからである。

(終り)
水指の蓋を閉めた後、拝見の有無にかかわらず、
先ず、湯返しをした柄杓を右手に取り、左手に構えて、
右手で蓋置を持ち(親指は蓋置の左横)、右を向いている正面を前に向く様にして、
風炉の左の空きの右側、少し奥に置き直す。

左手に持った柄杓は、台子の場合と同じ手つきをして、
左手で柄杓を大板の上、蓋置の左側に、柄杓の合を仰向けにして縦に置く。
柄杓の柄の先が、大板より少し手前(五分ばかり)に出る。
蓋置の向う三分の一位が柄杓の節になるが、風炉が大きい場合は、その限りではない。

通常、棚などに柄杓・蓋置を飾り残す時は、先ず柄杓を飾り、その後蓋置を置くが、
大板の場合、蓋置が邪魔になって柄杓を飾れないので、柄杓を構えながら、蓋置を置く事になる。

大板で柄杓・蓋置を飾った状態から点前を始める時も、柄杓を左手に構えながら、蓋置を置き直す事になる。

下記も参照

2016年5月11日 「風炉 大棚 長板
2016年1月11日 「柄杓を構える 左手 握り方
2015年10月18日 「風炉一つ置 茶器仮置き
2015年10月6日 「柄杓・蓋置 飾り残し
2015年10月1日 「風炉 大板(2)点前の始め
2015年10月1日 「風炉 大板(1)
2014年11月23日 「竹台子 一つ飾り
2014年10月21日 「柄杓と蓋置 扱い

2017-10-26 修正


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2017年10月9日月曜日

茶碗と茶器(茶入)の置き合せ 道具の格

点前の始まりで水指の前に茶碗と茶器(茶入)を置き合せるが、
格の高い物(重要な物、茶入や茶器)を客付きに置いている。
本勝手であれば、客付きである茶碗の右側に茶器(茶入)を置く。

薄茶の運びであれば、
格の高い道具を持つ右手に格の高い茶器を持って、格の低い道具を持つ左手に格の低い茶碗を持って、水屋から運び出す。
水指前に座って、持って来たそのままに、茶器と茶碗を置いている訳ではない。
客付きに近い右手に格の高い茶器を持っているから、持ってきたそのままに茶器と茶碗を置いている。

逆勝手の場合を考えてみると分かる。
水屋から運び出す時には、右手に茶器を持ち、左手に茶碗を持って、出て来るが、
坐って水指前に置き合せる時には、
右手の茶器を客付きに近い左側に置き、
左手の茶碗は右手に握り替えて茶器の右側に置く。

逆勝手でも、客付きに近い方に格の高い茶器を置いている。

逆勝手の濃茶の場合も同じで、運び出すことはないが、茶碗と置き合せる時には、茶入は客付きに近い左側に動かす。

茶器(茶入)と茶筅を並べて置く時には、粗相しない様に(茶筅を倒さない様に)茶筅を右側に置いている。
これは本勝手でも逆勝手でも同じ。

ついでに、
茶入・茶器の蓋を置く場所についても、同じ事が言える。
濃茶を入れる茶入や茶器(棗など)については、
蓋を置く位置は茶碗の客付き(本勝手では、茶碗の右側)になる。
濃茶を入れることのない茶器の蓋は、茶碗と膝の間に置いている。

逆勝手の場合は、
茶碗の客付き(左側)に置きづらいので、全ての蓋を茶碗と膝との間に置いている。

参照
2015年2月12日 「逆勝手 客 お茶の飲み方
2014年10月30日 「茶入・茶器・茶碗等の格 扱い


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2017年9月14日木曜日

高麗茶碗 特徴など

製作者の立場から見た高麗茶碗の特徴などの説明を受けたので、順不同で記してみる。

高麗茶碗 ・・ 井戸、三島、粉引、刷毛目、御本、御所丸、金海、伊羅保、熊川、斗々屋、柿蔕、呉器など

高麗茶碗は、白磁・青磁を狙って作っているので、
釉薬は総かけになっている。
高台内にも釉薬がかかっている。
日本からの注文品は、殆どが高台まわり、高台内に釉薬がかかっていない。

釉かけは日本と違って、高台に指2本(中指、薬指?)、
口辺に指1本(親指)を掛けて、手首を廻して釉薬をかけたらしい。
高台にその指跡が2本残っている。
口辺の指跡には釉薬が薄くなっている。
もしくは かかっていない部分がある。

見込の底を指で押した 押し跡のある物がある。
割れ(ひび)が入らない様に押したらしい。

口辺を内外から押してグルリと一周して、土を締めた物がある。
(竹)ヘラで内外から口辺を1cm幅位で押している。
割れ(ひび)が入らない様に押したらしい。

朝鮮の土には養分がない。
日本の土には、木の葉などが堆積して養分がある。
石(磁器)と土(陶器)の違いになる。

高台まわりが土見せになっている物は、日本からの注文品である。

歪みやヘラ跡のある物は、日本からの注文品である。

茶溜まり付近の目跡にも均等にならない様に工夫している物が見られる。
これも日本からの注文品である。

高台内の削り跡に工夫をしてある物は、日本からの注文品である。
釘彫り、トキン、輪になったりしている物

茶碗の外に目立ったロクロ目がある物は、高台を削った時に付けている。
ロクロを引いている時に付いたものではない。

支那、朝鮮では、食器は置いたままで食べる習慣である、
日本では、食器は手に持って食べる習慣である。
その習慣の違いが茶碗の見方の違いになっている。

支那、朝鮮では物は目だけで鑑賞すれば良い。

日本では、目だけでなく手で触った感じも鑑賞の対象になっている。
茶碗であれば、目で見、手で触り、口を当ててどうであるかが、鑑賞の対象である。
そこが美術館で鑑賞するだけでは満足できない理由の一つとなっている。


2018-1-26 修正

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2017年8月17日木曜日

饅頭の食べ方 菓子

茶席で饅頭が出された場合、客は手で割って食べる。

「おまんは 手で割って食べなはれ」等と指導されるが、
なぜ黒文字などの楊枝を使って食べないのか、私は知らなかった。

室町時代~江戸時代にかけて武家の礼法を司っていた小笠原家の礼法に関する文書に、
「小笠原礼書」がある。
その中では、量的には諸礼の内 約三割が飲食の作法で占められているそうである。
飲食に関する作法が、いかに重視されていたかが分かる。

飯・汁・菓子・餅・お茶の飲み方などなどの作法が書かれているそうで、
饅頭の食べ方の作法についても記されている。

饅頭には、「軽食としての饅頭」と「菓子としての饅頭」があったそうである。

軽食としての饅頭は、両手で割って汁を吸いながら食べた。

菓子としての饅頭は、両手で割って食べた。

これが現代のお茶に於ける饅頭の食べ方のルーツになっている様だ。



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2017年7月26日水曜日

扇子 膝横に置く 客

稽古の時、
正客は、茶室に入り、床や道具を拝見した後、自分の座にすわるが、
詰(末客)が入室し、襖を閉めてから行う、正客に向かっての挨拶が終わるまでは、
正客は、扇子を右膝横に縦にして置いたままにしておく。
膝前に扇子を置いて、詰の挨拶を受けた後に、お尻の後に置きなおす。

茶事の後座でも同じ。

茶事の初座では、
正客・連客共に、
亭主との最初の挨拶がすむ迄は、右膝横に縦にして置いておく。
亭主は、席に入ると正客から順に「よくお出で頂きました」等の挨拶をする。
客は、その時扇子を前にして挨拶を返すが、その挨拶が終わったら、扇子をお尻の後に置きなおす。

扇子の先(要(かなめ)の反対側)を、
正客は、次客の方に向ける。
次客以下は、正客に向ける。


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2017年7月23日日曜日

干菓子 季節に合わせた銘

色々な銘が付いた干菓子が全国各地にあるが、季節季節に合わせて出したくなるものである。

盛夏ともなると、季節に合わせると言うより、正反対の冬季の銘がついたお菓子の方が好ましい場合もある。

冬季の銘が付いた干菓子も種々あるが、一例として下記のようなものが全国的にも知られている。

薄氷(小矢部、五郎丸屋)
寒菊(長崎、梅寿軒など)
越乃雪(長岡、大和屋)
御所氷室(京都、鶴屋吉信)
笹の雪(能登、長生堂)
雪だるま(岐阜、奈良屋)

この様なお菓子が出て来ると、名前を聞いただけで涼しさを感じる。
これらの銘のお菓子は、冬季の物と言うより盛夏の物ではないだろうか。

季節に合わせるのではなく、季節と正反対の銘の菓子を出すのも好ましい。

なお、「霜ばしら(仙台、玉澤)」の様に、冬季限定で販売していて、冬にしか使えないものもある。


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2017年6月17日土曜日

畳の境に坐った時 客

客の人数の関係で、次客等が客畳の境目に坐る場合がある。
境目ぎりぎりに坐る事もあれば、境目に右脚がのる事もある。

出帛紗が添えられた濃茶茶碗などの様に、ひとかたまりになって来た道具は、左右どちらかの畳に一塊になった状態で置いた方が良い。
二つの畳に別れ別れになった状態で置かないようにする。



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2017年5月11日木曜日

茶事 障子を開ける 退出時の障子

茶事で、
暑くて、茶室に風を通したい時、亭主の勧めなどあって、障子を開ける事があるが、

客側の障子は、亭主の勧めがあってから、客が開ける。

亭主側の障子(風炉先窓など)は、客からの勧めがあってから、亭主が開ける。

但し、初座終りの中立の時や後座終わって退出する時には、
開けた障子は、客は全部閉めて退出する。

初座の終りに菓子が出た後、亭主(又は半東)は蹲踞に水を足す等の為に、
露地に出るが、その時 客は露地に面した窓の障子を一時的に閉める 心遣いをした方が良い。

その他の時も、亭主又は半東が露地に出ている時は、客は窓の障子を閉めておいた方が良い。


2014年10月13日「茶事 障子を開ける時」は、この項に統合して、削除した。


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台子 点前 歴史

台子の点前は、室町時代(1336年~1573年)後期になって成立した。
室町幕府が安定していた時代に町人が実力を付けて来て、
室町時代後期戦国時代になって、町人の茶の湯が成立するようになってから、
台子の点前が行なわれるようになって来た。

将軍・大名が茶の湯を行っていた時代には、「風炉・押入式」の茶の湯が行われていた。

「君台観左右帳記」に出て来る茶の湯棚の図は、押入が工夫される前の「置き棚」で、壁にくっつけて置いて使用していた。

時代が下がると、壁をくりぬいて作り付けにした「押入」が出来た。
この押入には襖は付いていない。

(注)現代の住宅の押入には襖が付いているが、
これは客に見せる道具を置くのではなく、押入に雑物を入れる様になったので、
見苦しい為 襖を付ける様になっている。

室町時代の将軍・大名が行う会所の茶の湯では、「台子」は物を載せる小形の棚として使われていた。

会所の茶の湯では、お客のいる部屋ではなく、隣の部屋で同朋衆がお茶を点てて、小姓が天目茶碗を運ぶ、今の「点て出し」であった。
客の前で点前をする事はなかった。
つまり、台子を使って客の前で点前をすることはなかった。

町人の住居は、将軍・大名のように広くなく、押入を作る広さの余裕がなかったので、
別室ではなく、物を載せる棚であった台子を使って、客の前で点前をする「台子の点前」が工夫されたと考えられる。

お茶(抹茶)を飲む習慣が一般人まで広まったのは、室町時代のことである。
文書や絵図によれば、室町時代1400年頃には東寺などの門前で参拝客に茶湯一杯を一銭で立売りする様になり、一般人にも喫茶が広まったと考えられている。
1500年代後半 安土桃山時代の洛中洛外図にも立売の姿が描かれている。


下記を参照
2014年10月30日 「君台観左右帳記 足利義政

2017-6-17 修正

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前茶 茶事

数か月前招かれた茶事では、濃茶が懐石の前に出されたが、初めての経験だったので、少し調べてみた。

前茶の茶事と言うらしい。

寒季に行われる夜咄や暁の茶事で、温まって頂きたいと、初座席入の直ぐ後に薄茶を供されるのも前茶と言うが、それとは別物である。

前茶の茶事は、正午の茶事の変形で、懐石を出す前に濃茶を差し上げるやり方になっている。

初座席入 → 初炭 → 菓子 → 中立 → 後座席入 → 濃茶 → 広間に移る
 → 懐石 → (後炭) → 薄茶

古くから行われている訳ではなく、昭和になってから行われるようになったらしい。

これが行われるようになった理由は知らないが、
想像するに、
(1)一度に大人数(10人~13人位?)を招きたい
(2)小間を使いたい
事から、行われるようになったのではないだろうか。

茶事の雰囲気を盛り上げるのは、やはり小間であるが、
懐石を出すには小間では窮屈すぎる人数であることから、
濃茶を小間で先に差し上げてしまって、広間に移って懐石・薄茶の順序にすると解決すると言ったところだろう。

懐石が出されない位に詰め込まれて小間で濃茶を頂いても、茶事の雰囲気は出てこないので、
矢張り、人数を減らして小間で懐石も頂く形式の方が、茶事に来た気分になる。

私は、初座から後座まで同じ小間で行われる茶事の方が好きだ。
前茶の茶事ではなくとも、濃茶の後 広間に移って薄茶を頂く場合もあるが、
茶事の流れが途切れてしまい、あまり好ましいやり方とは、私には思われない。

数か月前の私が招いて頂いた茶事は、客5人であり小間で懐石を頂けない人数ではなかったので、何の為に前茶の茶事にされたのか、理由は分からない。

「同門」を見ていたら、而妙斎宗匠の喜寿の茶事は、前茶でされていた。
今回のような家元お祝いの茶事では、招かれる客も多く、一席の人数も不審菴で懐石を出すには窮屈になるだろうから、
不審菴で濃茶、残月亭で懐石と薄茶となるのは仕方ない事なのだろう。


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2017年3月30日木曜日

茶事 流儀違いと客の振る舞い

茶事に呼ばれた場合、当然流儀の異なる方が一緒になる事がある。

客はどのように振舞えばよいのだろうか。
挨拶の仕方、拝見の仕方などなどもあるが、懐石の最後の膳の終い方と濃茶の飲み方には特に留意した方が良いと思う。

私が教えられたのは、
自分が正客でない場合、「正客を見習え」である。

自分の流儀を無理に通さず、正客の流儀を真似て行えば宜しい。
分からなければ、その場で正客や連客に尋ねれば良い事で、
茶事の雰囲気を壊さない様にすべきだと思う。
「廻りは何をしていようと、自分は自分の流儀で押し通します」としない様にしたいものである。

茶事では正客が「客」であり、
連客はその茶事が楽しくスムーズに流れるように、正客を助ける為に「相伴」をしている事を理解しておくべきである。

自分が正客の場合には、「自分の流儀で行う」もしくは「亭主の流儀のやり方を知っておれば亭主の流儀で行う」である。


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2017年3月8日水曜日

香合

香合は、基本、
焼物(陶器磁器)は炉に、塗物は風炉に使うが、
品により、時により、炉風炉の決まりを替えることもある。
塗り物を炉に、焼物を風炉に使うこともある。

貝、金属の香合は、炉・風炉兼用。
貝の内側に金箔を押してあるものは、炉では椿の葉を小さく切って、その上に練香をのせる。

表千家では、
鳥や動物の香合は、顔の向きが正面向きとなる。
鳥の香合で、顔(クチバシ)がお尻を向いていたら、お尻が正面となる。

二枚貝(蛤など)の香合は、綴じ目(蝶ツガイ部分)が向うになる。口の方が正面になる。

簾貝(すだれがい)香合


書付がある時は、書付の向きが正面になる。

2014年11月19日「香合 炉 風炉」は、この項に統合して、削除した。


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2017年3月3日金曜日

露地箒 しゅろ箒 わらび箒

露地に備えてある飾り箒には、二種類ある。

「棕櫚(しゅろ)箒」と「蕨(わらび)箒」である。

表千家では、
「しゅろ箒」は、外露地の腰掛の下座側の柱に打った竹釘に掛ける。

棕櫚の青い葉5枚を青竹の柄に結んで、葉先を切り揃えてある。

「わらび箒」は、内露地の腰掛の下座側の柱に打った竹釘に掛ける。
又は、内露地の塵穴の近くの柱の竹釘に掛ける。

黒いわらび縄を白竹の柄に結んである。

両方とも飾りの箒である。




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2017年2月5日日曜日

面桶 曲げ建水 こぼし

「曲(まげ)建水」を「面桶(めんつう)」とも言う。

杉板を曲げて、桜皮などでとじて作ってある。

木地の物は本来使い捨てのものなので、使われた後に理由があって塗られた物が残るなどの他は、古い木地の面桶は殆ど残っていない。

現在では、初めから塗り物(溜塗、春慶塗など)になっているものもある。

武野紹鴎や利休が工夫したとの説がある。

天正18年(1590年)、秀吉が小田原城攻めの後に湯治中の有馬温泉で茶会を催したが、
その有馬茶会の道具組や客組を、秀吉の同朋衆から有馬の阿弥陀堂に知らせた手紙(五島美術館蔵)に、
「水こほし めんつう」「利休茶たう(茶頭)被仕候也」とあるので、
その頃、面桶の建水を利休が使っていたのは間違いない。

木地の曲建水は、専ら小間に用いる。
風炉 炉共に用いる。

更に、木地曲建水と青竹引切り蓋置を取り合わせると、格調の高さと清新さをお客に与えると共に、他の道具を引き立てる効果がある。

「面桶」とは、元々、顔を洗う水を入れる桶であった。

曹洞宗の開祖「道元」が1200年代中頃に著した「正法眼蔵」の「洗面」の中に出て来るそうだ。

いつの間にか、食べ物を入れる曲物を面桶(めんつう)と言うようになった。
江戸時代には、乞食が施しを受ける器(陶器でも金属でも)を面桶(めんつう)と言うようになった。

落語中興の祖と言われている三遊亭圓朝(幕末から明治に活躍)の三題噺(大佛餅)の中に、乞食に対して「めんつうを だしな」と言う場面が出て来るそうだ。

2017-2-6 修正



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2017年1月12日木曜日

手紙 名宛人・差出人 書き方

手紙などの名宛人、差出人の名前をどう書くか、最近思う事があり、
一番無難で、悪感情を持たれない書き方について、現時点の私の書き様を記してみた。

「宛名にも自分の名前にも、『姓名』を書く」 である。

世間の人は様々で、平等が一番と考えている人もいれば、昔風の考えの人もいるので、
特に礼状を書く場合には、
自分の感謝の気持ちが打ち消されてしまわない書き方にした方が無難だと思う。

手紙の書き方の本や辞典類に色々書いてあるが、本を頭から信用しない様にしたい。
岩波書店の「広辞苑」等に書いてある事柄を絶対に正しい等思っていると、
大恥をかくことがあるので、間違っていることも書いてあると思っておいた方が良い。

夏目漱石が東京帝大の講師だった頃からの門下生に対して、手紙の末尾の書き方を教えた手紙があるそうで、
それには、

名宛人が尊敬する人の場合は、「姓のみ」又は「号」を書く。
自分は、「名だけ」書く。

差出人が自分の「号」を書くのは失礼になる。

と書かれている。

相手が恩師・師匠の場合は、「先生」と必ず書く。

私は師に対して「様」と書いた為、師から「師匠に向かって「様」と書いて手紙を出す馬鹿がいる」とこっぴどく叱られたことがあり、以降「先生」としか書いたことがない。

明治大正の世とは変わって、現在は宛名や呼び名に対する感覚が違って来ており、相手の「姓」だけ書くのは略式の様な感覚になっているので、
尊敬する人に対しても同等の人に対しても「姓名」を書いた方が無難になっている。

自分の名前も、現在では「名だけ」では略式の様な感覚になっているので、「姓名」を書いた方が良い。

昔風の、尊敬する人には「姓のみ」書く、
現在の感覚の、「姓」だけでは略式に感じる、
ことの両方から、
自分の名前を「姓のみ」書くのは、横柄な奴だと思われる可能性がある事を知っておく必要がある。

昔風の考え方の人にとっては、
自分の「姓のみ」書くは、自分は尊敬されるべき人間だと表現している様に感じると言うことです。

以上は、礼状や目上の方などに宛てる時の書き方であり、
同等の人や家族、親しい人に宛てる場合には、自分の好きにすれば良いだろう。

自分の「姓のみ」書くも、親しい関係の人との間では全く問題ないと私は思います。


下記も参照
2015年1月14日 「茶事 案内状 返書 前礼 礼状
2019年2月14日 「茶事 案内、前礼、礼状の実際

2017-1-17 修正


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2017年1月10日火曜日

小間 台目切 初炭点前 羽箒・香合

炉 初炭
炭点前の順序は、広間四畳半切 大棚(長板)とおおよそ同じ。

隅棚や釣棚がある場合には、初座には棚に羽箒・香合を飾る。
中柱には、普通袋釘を打ってあるので、袋釘がある場合は、羽箒を袋釘に掛ける。
釣棚の下段中央に香合を飾る。

炭斗、灰器を持って出て、置き付ける。

中柱がない場合、
棚の方に向かい、右手で羽箒を取り、左手であしらって、膝前に置く。

次に香合を右手で取って、左手に持たせ、
右手に羽箒を取って、炉に向き直り、羽箒を置き、
次に左手の香合も右手に取って置く。

女子は別々に置く。
棚に向かって、右手で羽箒を取って、左手であしらい、
右手に取り直して、右手に持たせ、炉に廻って羽箒を置く。

又、棚に向き直って、香合を取り、左手に持たせ、炉に廻って香合を置く。

羽箒は、最初は炭斗と炉縁の間の炉に近く置き、羽箒を使った後は香合の右に縦に置く。
香合は、炭斗正面の縁内に置く。

羽箒・香合を置き付けてから、釜鐶・火箸を炭斗から下ろす。
釜鐶は、炭斗手前の縁外に置く。
火箸は、炭斗と羽箒の間に置く。
炉縁→羽箒→火箸→炭斗と並ぶ。

中柱に袋釘がある場合、

中柱の方に向き、左手で羽箒を取り、右手で膝前に置いてから、
次に香合を右手で取って、左手に持たせ、
右手に羽箒を持って、炉に向き直り、羽箒を置き、香合も右手に取って置く。

女子は別々に取って置く。

袋釘に掛けた羽箒を左手で取るについて、文字だけ見ると、右手の方が取り易そうに感じるが、
実際自分で羽箒を取ってみると、右手では非常に取りにくい、左手の方が取り易い。


下記も参照
2020年12月9日 「抱清棚 初炭 羽箒の扱い
2016年1月11日 「炉 長板 諸飾り 炭点前
2015年1月7日 「炭台 炭点前 炉
2014年11月13日 「羽箒 羽根 炭点前

2014年12月2日「羽箒と香合 炉 初炭 台目柱」は、この項に統合して、削除した。
2017-01-10 修正
2017-10-26 修正
2020-12-9 修正

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隅炉 炭点前 拝見

隅炉を持っていないので、点前について私は殆ど知識がない。
風炉の本勝手とほぼ同じにすれば良いと思う。

客になる事はあると思うので、
その場合の留意点だけ書いておく。

隅炉の炭点前では、
客は炉の近くに寄って拝見することは出来ない。

正客は、炭点前の終わりに香合の拝見を請うた時、炭の拝見も請う。

亭主が、灰器を持って退出し、茶道口に控えるので、

客は、正客から順に炉の近くに拝見に出て、自席に戻る。

亭主は、再び席に出て釜を掛ける。

後は同じ。

表千家にはない風炉の炭拝見と同じ。

下記も参照
2015年10月19日 「茶事 炭拝見 風炉



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