2017年5月11日木曜日

茶事 障子を開ける 退出時の障子

茶事で、
暑くて、茶室に風を通したい時、亭主の勧めなどあって、障子を開ける事があるが、

客側の障子は、亭主の勧めがあってから、客が開ける。

亭主側の障子(風炉先窓など)は、客からの勧めがあってから、亭主が開ける。

但し、初座終りの中立の時や後座終わって退出する時には、
開けた障子は、客は全部閉めて退出する。

初座の終りに菓子が出た後、亭主(又は半東)は蹲踞に水を足す等の為に、
露地に出るが、その時 客は露地に面した窓の障子を一時的に閉める 心遣いをした方が良い。

その他の時も、亭主又は半東が露地に出ている時は、客は窓の障子を閉めておいた方が良い。


2014年10月13日「茶事 障子を開ける時」は、この項に統合して、削除した。


このページ最下部の「ホーム」をクリックすると、私のブログのホームに飛びます。

台子 点前 歴史

台子の点前は、室町時代(1336年~1573年)後期になって成立した。
室町幕府が安定していた時代に町人が実力を付けて来て、
室町時代後期戦国時代になって、町人の茶の湯が成立するようになってから、
台子の点前が行なわれるようになって来た。

将軍・大名が茶の湯を行っていた時代には、「風炉・押入式」の茶の湯が行われていた。

「君台観左右帳記」に出て来る茶の湯棚の図は、押入が工夫される前の「置き棚」で、壁にくっつけて置いて使用していた。

時代が下がると、壁をくりぬいて作り付けにした「押入」が出来た。
この押入には襖は付いていない。

(注)現代の住宅の押入には襖が付いているが、
これは客に見せる道具を置くのではなく、押入に雑物を入れる様になったので、
見苦しい為 襖を付ける様になっている。

室町時代の将軍・大名が行う会所の茶の湯では、「台子」は物を載せる小形の棚として使われていた。

会所の茶の湯では、お客のいる部屋ではなく、隣の部屋で同朋衆がお茶を点てて、小姓が天目茶碗を運ぶ、今の「点て出し」であった。
客の前で点前をする事はなかった。
つまり、台子を使って客の前で点前をすることはなかった。

町人の住居は、将軍・大名のように広くなく、押入を作る広さの余裕がなかったので、
別室ではなく、物を載せる棚であった台子を使って、客の前で点前をする「台子の点前」が工夫されたと考えられる。

お茶(抹茶)を飲む習慣が一般人まで広まったのは、室町時代のことである。
文書や絵図によれば、室町時代1400年頃には東寺などの門前で参拝客に茶湯一杯を一銭で立売りする様になり、一般人にも喫茶が広まったと考えられている。
1500年代後半 安土桃山時代の洛中洛外図にも立売の姿が描かれている。


下記を参照
2014年10月30日 「君台観左右帳記 足利義政

2017-6-17 修正

このページ最下部の「ホーム」をクリックすると、私のブログのホームに飛びます。

前茶 茶事

数か月前招かれた茶事では、濃茶が懐石の前に出されたが、初めての経験だったので、少し調べてみた。

前茶の茶事と言うらしい。

寒季に行われる夜咄や暁の茶事で、温まって頂きたいと、初座席入の直ぐ後に薄茶を供されるのも前茶と言うが、それとは別物である。

前茶の茶事は、正午の茶事の変形で、懐石を出す前に濃茶を差し上げるやり方になっている。

初座席入 → 初炭 → 菓子 → 中立 → 後座席入 → 濃茶 → 広間に移る
 → 懐石 → (後炭) → 薄茶

古くから行われている訳ではなく、昭和になってから行われるようになったらしい。

これが行われるようになった理由は知らないが、
想像するに、
(1)一度に大人数(10人~13人位?)を招きたい
(2)小間を使いたい
事から、行われるようになったのではないだろうか。

茶事の雰囲気を盛り上げるのは、やはり小間であるが、
懐石を出すには小間では窮屈すぎる人数であることから、
濃茶を小間で先に差し上げてしまって、広間に移って懐石・薄茶の順序にすると解決すると言ったところだろう。

懐石が出されない位に詰め込まれて小間で濃茶を頂いても、茶事の雰囲気は出てこないので、
矢張り、人数を減らして小間で懐石も頂く形式の方が、茶事に来た気分になる。

私は、初座から後座まで同じ小間で行われる茶事の方が好きだ。
前茶の茶事ではなくとも、濃茶の後 広間に移って薄茶を頂く場合もあるが、
茶事の流れが途切れてしまい、あまり好ましいやり方とは、私には思われない。

数か月前の私が招いて頂いた茶事は、客5人であり小間で懐石を頂けない人数ではなかったので、何の為に前茶の茶事にされたのか、理由は分からない。

「同門」を見ていたら、而妙斎宗匠の喜寿の茶事は、前茶でされていた。
今回のような家元お祝いの茶事では、招かれる客も多く、一席の人数も不審菴で懐石を出すには窮屈になるだろうから、
不審菴で濃茶、残月亭で懐石と薄茶となるのは仕方ない事なのだろう。


このページ最下部の「ホーム」をクリックすると、私のブログのホームに飛びます。