2015年9月5日土曜日

三木町棚 江岑棚

三木町棚、江岑棚と言われる物には、2種ある。

表千家四代 江岑好み

天板と地板は、杉木地。
引出は、樅(モミ)木地。 ツマミは、竹。
柱は、檜(ヒノキ)木地。

表千家六代 覚々斎好み

総桐木地。 ツマミは、桑。

江岑好みを「三木町棚」、覚々斎好みを「江岑棚」と呼ぶ事が多いが、逆に呼ばれる事もある。

表千家歴代家元の箱書には、江岑好みに「三木町棚」、覚々斎好みに「江岑棚」とある。

家元に伝来している江岑好みの本歌は、
若党の手造りと言い伝えられている通り、寄木造りで、引出はガタガタであり、四隅の足は全て異なる形をしている等の素人細工になっている。

一説には、殿様から頂いた菓子の箱を引出にして、江岑が若党に命じて棚に作らせたと言われている。

三木町は、和歌山城近くの町名(現在もある)で、紀州徳川家から江岑が屋敷を頂いていた。
現在、屋敷跡には、表千家屋敷跡の石碑が立っている。

濃茶の時、

仕服は、左手に持たせ、右手で引出を引き出し、同じ右手で仕服を入れる。

薄茶の時、

天板に柄杓・蓋置を飾る(入飾りのみ)場合、茶器は引出の真中に入れるが、
棗は右手一手で入れる。
横から持つ雪吹などは、一度左手に受けて、右手で上から持ち直して入れる。





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4 件のコメント:

  1. 今日のお稽古で三木町棚を使いました。
    上記の仙石様のご説明とほぼ同様のお話を先生からも伺いました。

    その時私は「三木町棚は頂いたお菓子の箱を捨ててしまうのがもったいなくて出来たとどこかで聞いたことがある。」と申し上げました。
    先生はじめどなたもその話はご存じありませんでした。

    そしてビックリ!仙石様もそのことに触れていらっしゃいます。
    お話の出典をご存知でしたら是非教えて下さい。

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    1. 今、日本放送出版協会から出ている千宗左「表千家茶道十二か月」を見ていましたら、117ページに以下の文章がありました。

      紀州侯から拝領の菓子の折り箱を引き出しに応用したものと伝えられています。

      このHPで教えて頂いたお話だったのかな~?とも思いましたが、そばに三木町棚の写真があったような記憶が・・・これでスッキリしました。

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    2. 葉っぱ様
      色々調べて頂いていたんですね。返事もしないで申し訳ありませんでした。
      コメントをして頂いたのは分かっていて、気にはしていたのですが、失礼いたしました。
      話の出典が不明の為、返信出来ないでいました。

      昭和24年~25年に初版を発行されている「即中茶記」第一分冊第二分冊第三分冊の中の第二分冊121ページ122ページ「三木町棚」の項目に、
      「江岑がこの下屋敷(紀州和歌山三木町の表千家屋敷)に滞在中に、樅、檜、杉の残り木がありましたので、この三つの木を寄せ木に好み、若党に命じて棚を作らせました。そして下屋敷の町名に因んで三木町棚と名付けました。」
      「また紀州侯拝領の折箱を引出しに応用して、残木を以て好んだとも伝えます。」
      と出ています。

      色々コメント頂いて有難うございました。

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    3. 第二分冊の121ページ~122ページに出ていました!

      即中茶記は第一と第三は手に入りやすかったのですが、第二だけがなかなか無くてやっと手に入れました。
      その甲斐がありました。

      やっと手に入れた割にはそのまま仕舞い込んでいたので、これを機にしっかり読もうと思います。

      お忙しいところ、ありがとうございました。

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