2019年5月3日金曜日

ギッチョ炭 名称由来

短い炭を「ぎっちょ炭(ぎっちょう炭)」と言う。
丸ギッチョ、割りギッチョの2種類ある。

ギッチョとは、妙な名前だなと思っていた。

馬に乗った競技者が、玉(毬)を棒で打って(又は掬って)、相手陣に入れる競技が、奈良・平安時代に唐から伝わった。
唐では、「打毬戯」と呼ばれた。
中央アジアに始まったものが、ヨーロッパに伝わって「ポロ」となり、
唐に伝わって「打毬戯」になった。

日本では、「打毬 だきゅう」と呼ばれ、初めは馬に乗って行われたが、徒歩で行われるようになり、又民間でも行われる様になり、更に江戸時代には子供の正月の遊びとなっていた。

なお、馬に乗って争う「打毬」も、今でも宮内庁その他に残っていて、行われている。

毬を打つ道具を「打毬杖 だきゅうじょう」と言う。
それが、「ぎっちょう・ぎっちょ」と言われるようになり、
漢字では「毬杖」「毬打」「毬枝」等と書く。

古くは、今のホッケーのスティックの形をしていたが、
後には、「ぎっちょう・ぎっちょ」は、柄の長い木槌(きづち)の形をしていた。
「ぶりぶりぎっちょう」、「玉ぶりぶり」とも言う。



その頭の部分に似ていることから、「ギッチョ炭(ぎっちょう炭)」と言う。

江戸時代には、彩色し、車輪を付け、頭の先端に柄を取り付けたものが正月の男の祝いの玩具として売られ、贈答用にも使われた。
頭の部分は、六角柱(又は八角柱)になっている。

その形が、香合に取り上げられ「ぶりぶり香合」として祝いの席などに使われている。



「左義長 さぎちょう」
小正月(1月15日)に行われる左義長(どんど焼き)も、「ぎちょう」に関連がある。
平安時代に、清涼殿前で青竹に毬杖(ぎちょう)を3本結んで火を点けて吉兆を占う行事があった。
三本の毬杖を結んだところから「三毬杖 さぎちょう」と言われた。
この行事が民間に伝わり、「左義長 さぎちょう」になった。


下記も参照
2015年3月3日「炭の寸法

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