2025年5月15日木曜日
風炉 敷板・風炉・灰・五徳・釜の向き
2025年4月17日木曜日
掛軸 本席 寄付
掛軸 本席 寄付
掛物は、本席と寄付では、格を違えて掛ける。
寄付の軸は、本席より格下ないし少しくだけたものにする。
例えが良くないかもしれないが、
本席に 久田尋牛斎のものを掛けて、寄付に 即中斎宗匠のものを掛ける事はしない。
逆にして、
本席に 即中斎宗匠、寄付に 尋牛斎とする。
但し 何にでも例外はあるので、こだわり過ぎるのも良くない。
以上
2025年1月23日木曜日
お茶を吸い切る音
お茶を吸い切る音
濃茶のお詰が飲み切った時、また薄茶を飲み切った時に
軽く音を立てて吸い切ることが多い。
お茶を飲み切った時に音を立てるのは何故だろうと、皆一度は考えると思う。
食事では 器も音を立てないように留意するし、
吸い切りの音は、
私は、薄茶では吸い切りの音を立てる習慣はないのですが、
皆さまは どう考えられておられるのでしょうか?
2025年1月4日土曜日
吊り棚 小間 扱い
小間 吊り棚 扱い
中柱のある小間には二重の吊り棚を備えている。
この吊り棚には、
(初座)
下棚に香合を飾る。
また中柱の袋釘(兜巾釘)には 羽箒を掛ける。
(後座)
濃茶薄茶が終わった所で、柄杓蓋置を飾る。
柄杓は湯返しをしない。
柄杓を下棚の右端に縦に飾り、その左横に竹の蓋置を飾る。
吊り棚には、茶入や茶器を飾る(飾り残す)事はない。
続き薄茶の場合に 茶入を仮り置きする事もない。
お終いに茶器を飾り残す事もない。
袋釘には、茶入の仕服を掛ける。
釣り棚になぜ茶入茶器を飾らないかについて、
2014年12月2日 「吊り棚(左隅) 小間 本勝手 柄杓と蓋置」のコメント欄に
私の考えを書いているので、参照の事。
以上
2024年10月27日日曜日
茶事の客 留意点
茶事の客 ウッカリし易い留意点
(初座 亭主との挨拶)
(1)亭主との挨拶があるまでは、扇子は右膝横に縦にして置いておく。
(2)一膝乗り出して亭主と挨拶し、終われば元に戻る。
(3)挨拶が終わった後、扇子を後ろに置く。
(懐石)
(4)一膝乗り出して亭主からの膳を受ける。
(5)膳を受け取る時、低くして受け取る。
受け取った時より むしろ低くする。膳を高く持ち上げない。
(6)汁椀は飲む時以外は蓋をしておく。汁替えがあるので、汁は早く吸い切っておく。
(7)飯碗は食事中は蓋を取ったままにする。
(8)蓋をしてある器が出た時は、亭主の「お取り上げを」の挨拶がある迄は、蓋を取らない。
最初の膳、煮物椀、小吸物椀など。
(9)正客は、亭主が勝手で相伴の挨拶をして 給仕口を閉める迄、焼き物 飯器は廻さない。
(10)食事が終わったら(八寸が出る前)、飯碗の蓋をする。食事が終わった合図。
(11)お詰は、飯器 鉢 銚子類を給仕口に返す。飯器を中心に取りやすい所に置く。
(12)盃台は正客に返す。
(13)八寸の前に、小吸物椀が出る。
煮物椀を膳の先 真ん中に出しておく。小吸物椀との交換になる。
(14)小吸物椀は 早目に吸い切っておく。
吸い切ったら蓋裏を懐紙で拭いておく。八寸の肴の器になる。
(15)八寸が終わって、お湯漬物が出る前に、小吸物椀を膳の先 真ん中に出しておく。
お湯を出した帰りに 小吸物椀は引かれる。
(16)お湯漬物で器を清めたら、お詰は 膳以外の全てを給仕口に返しておく。
(17)その後、一緒に 膳に箸を落とす。
(18)膳が引かれ 菓子が出て、亭主からお取り上げと中立の挨拶があった時、正客は鳴り物のお願い。
(19)中立の退出の前に、お詰は 菓子器を給仕口に返す。
(20)亭主が茶室内にいない時、客同士の会話は、コソコソ話しはしない。普通の音量の会話をして、給仕口外の亭主側の人に聞こえるように話す。
(中立)
(後座はいつもの稽古の通り)
(後座の終りの退出の時)
(21)お詰は、菓子器 煙草盆を給仕口に返す。
(22)お詰が躙り口を出た後、
亭主の見送りがあるので、そのまま外で待つ。正客は躙り口の近くに立つ。
以上
2024年10月13日日曜日
馬蝗絆 唐物 青磁茶碗
唐物 青磁茶碗 馬蝗絆 ばこうはん
東京国立博物館所蔵 重要文化財
マスプロ美術館所蔵
青磁輪花茶碗で「馬蝗絆(ばこうはん)」と呼ばれ、ひび割れを鎹(かすがい)で止めた茶碗が国内に2碗伝わっている。
龍泉窯、南宋時代の砧手青磁で、色、形、共に最上手のものと言われている。
平重盛(平清盛の長男 平安時代末期 1138〜1179)が、南宋 浙江省杭州 育王山に3千両の寄進をして、その返礼に青磁の茶碗が2個贈られてきたとの伝承がある。
但し、推定製造時期 13世紀と年代的に差がある。
その茶碗は、
東京国立博物館所蔵 重要文化財のもの と
愛知県マスプロ美術館所蔵のもの
の2個と言われている。
後に足利義政(室町幕府8代将軍 1436〜1490)がこの茶碗を手に入れたが、熱湯のためかヒビ割れができたので、明の国に送ってこれに代わる茶碗を求めた。
しかし、このような茶碗はもう焼成できないと、2個ともヒビ補強に鎹(かすがい)を打って返却されてきた。
その後、「馬蝗絆(ばこうはん) 」と呼ばれ名声を博した。
青磁茶碗といえば、先ず馬蝗絆が筆頭にあげられる程である。
馬蝗絆は、2個ある。
(1) 重要文化財
足利将軍家 → 吉田宗臨(京都 角倉家の祖) → 室町三井家(京都) → 東京国立博物館
6ヶ所に鉄釘(鎹)を打ってある。
(2)足利将軍家 → 曲直瀬道三 → 織田有楽 → 織田三五郎 (織田有楽の孫 千宗旦と親交あり) → 角倉家(京都) → 平瀬家(大坂) → マスプロ美術館(愛知県)
3ヶ所に鉄釘(鎹)を打ってある。
蝗 (こう) - バッタやイナゴ
絆 (はん) - きづな
打たれた鎹(かすがい)をバッタと見て、馬蝗絆と呼ばれている
と言われ、東京国立博物館の説明にもそう書いてある。
しかし、
馬蝗とは、バッタではなく、蛭(ひる)の事であり、
ひび割れを止める鎹をヒルと見て、馬蝗絆と名付けられた
との説もある。
私にはどう見ても、鎹(かすがい)はバッタには見えないので、ヒルの方が説得力がある。
2024年10月5日土曜日
四滴茶入 蓋 置く位置
四滴茶入には、水滴、油滴、手瓶、弦付の4種ある。
1.唐物の四滴茶入
4種とも仕服を付けて濃茶入れとして使う。
仕服を外して 薄茶器として使っても構わない。
2.和物の四滴茶入
楽焼その他 和物の四滴茶入は、水滴のみ濃茶入れとして使う。
水滴以外は、薄茶器としてのみ使う。
蓋の置き方
1.唐物の四滴茶入の場合
4種とも蓋を取ったら、茶碗の右横に置いて お茶をはく。
薄茶に使う場合も同じ。
2.和物の四滴茶入の場合
4種とも 蓋を取ったら、茶碗の右横に置いてお茶をはく。
唐物の四滴茶入にならっている。
又は、次のやり方もある。
濃茶にも使う水滴は、薄茶でも茶碗の横に蓋を置くが、
残りの3種については、現在では薄茶のみに使うので、
蓋は茶碗と膝の間に置く。
なお、
蓋をどこに置くかについては、上記は本勝手の場合であって、
逆勝手の場合は、濃茶 薄茶に限らず 蓋は茶碗と膝の間に置く。
下記も参照
2016-8-9 「四滴茶入」