2024年10月27日日曜日

茶事の客 留意点

茶事の客 ウッカリし易い留意点

(初座 亭主との挨拶)
(1)亭主との挨拶があるまでは、扇子は右膝横に縦にして置いておく。
(2)一膝乗り出して亭主と挨拶し、終われば元に戻る。
(3)挨拶が終わった後、扇子を後ろに置く。

(懐石)
(4)一膝乗り出して亭主からの膳を受ける。
(5)膳を受け取る時、低くして受け取る。
受け取った時より むしろ低くする。膳を高く持ち上げない。
(6)汁椀は飲む時以外は蓋をしておく。汁替えがあるので、汁は早く吸い切っておく。
(7)飯碗は食事中は蓋を取ったままにする。
(8)蓋をしてある器が出た時は、亭主の「お取り上げを」の挨拶がある迄は、蓋を取らない。
最初の膳、煮物椀、小吸物椀など。
(9)正客は、亭主が勝手で相伴の挨拶をして 給仕口を閉める迄、焼き物 飯器は廻さない。
(10)食事が終わったら(八寸が出る前)、飯碗の蓋をする。食事が終わった合図。
(11)お詰は、飯器 鉢 銚子類を給仕口に返す。飯器を中心に取りやすい所に置く。
(12)盃台は正客に返す。
(13)八寸の前に、小吸物椀が出る。
煮物椀を膳の先 真ん中に出しておく。小吸物椀との交換になる。
(14)小吸物椀は 早目に吸い切っておく。
吸い切ったら蓋裏を懐紙で拭いておく。八寸の肴の器になる。
(15)八寸が終わって、お湯漬物が出る前に、小吸物椀を膳の先 真ん中に出しておく。
お湯を出した帰りに 小吸物椀は引かれる。
(16)お湯漬物で器を清めたら、お詰は 膳以外の全てを給仕口に返しておく。
(17)その後、一緒に 膳に箸を落とす。
(18)膳が引かれ 菓子が出て、亭主からお取り上げと中立の挨拶があった時、正客は鳴り物のお願い。
(19)中立の退出の前に、お詰は 菓子器を給仕口に返す。
(20)亭主が茶室内にいない時、客同士の会話は、コソコソ話しはしない。普通の音量の会話をして、給仕口外の亭主側の人に聞こえるように話す。

(中立)

(後座はいつもの稽古の通り)

(後座の終りの退出の時)
(21)お詰は、菓子器 煙草盆を給仕口に返す。
(22)お詰が躙り口を出た後、
亭主の見送りがあるので、そのまま外で待つ。正客は躙り口の近くに立つ。

以上

2024年10月13日日曜日

馬蝗絆 唐物 青磁茶碗

唐物 青磁茶碗 馬蝗絆 ばこうはん

東京国立博物館所蔵 重要文化財


マスプロ美術館所蔵


青磁輪花茶碗で「馬蝗絆(ばこうはん)」と呼ばれ、ひび割れを鎹(かすがい)で止めた茶碗が国内に2碗伝わっている。

龍泉窯、南宋時代の砧手青磁で、色、形、共に最上手のものと言われている。

平重盛(平清盛の長男 平安時代末期 1138〜1179)が、南宋 浙江省杭州 育王山に3千両の寄進をして、その返礼に青磁の茶碗が2個贈られてきたとの伝承がある。 但し、推定製造時期 13世紀と年代的に差がある。

その茶碗は、
東京国立博物館所蔵 重要文化財のもの と
愛知県マスプロ美術館所蔵のもの
の2個と言われている。

後に足利義政(室町幕府8代将軍 1436〜1490)がこの茶碗を手に入れたが、熱湯のためかヒビ割れができたので、明の国に送ってこれに代わる茶碗を求めた。
しかし、このような茶碗はもう焼成できないと、2個ともヒビ補強に鎹(かすがい)を打って返却されてきた。
その後、「馬蝗絆(ばこうはん) 」と呼ばれ名声を博した。
青磁茶碗といえば、先ず馬蝗絆が筆頭にあげられる程である。

馬蝗絆は、2個ある。
(1) 重要文化財
足利将軍家 → 吉田宗臨(京都 角倉家の祖) → 室町三井家(京都) → 東京国立博物館
6ヶ所に鉄釘(鎹)を打ってある。

(2)足利将軍家 → 曲直瀬道三 → 織田有楽 → 織田三五郎 (織田有楽の孫 千宗旦と親交あり) → 角倉家(京都) → 平瀬家(大坂) → マスプロ美術館(愛知県)
3ヶ所に鉄釘(鎹)を打ってある。

蝗 (こう) - バッタやイナゴ
絆 (はん) - きづな

打たれた鎹(かすがい)をバッタと見て、馬蝗絆と呼ばれている
と言われ、東京国立博物館の説明にもそう書いてある。
しかし、
馬蝗とは、バッタではなく、蛭(ひる)の事であり、
ひび割れを止める鎹をヒルと見て、馬蝗絆と名付けられた
との説もある。
私にはどう見ても、鎹(かすがい)はバッタには見えないので、ヒルの方が説得力がある。

2024年10月5日土曜日

四滴茶入 蓋 置く位置

 四滴茶入には、水滴、油滴、手瓶、弦付の4種ある。



1.唐物の四滴茶入

4種とも仕服を付けて濃茶入れとして使う。
仕服を外して 薄茶器として使っても構わない。

2.和物の四滴茶入
楽焼その他 和物の四滴茶入は、水滴のみ濃茶入れとして使う。
水滴以外は、薄茶器としてのみ使う。

蓋の置き方

1.唐物の四滴茶入の場合
4種とも蓋を取ったら、茶碗の右横に置いて お茶をはく。
薄茶に使う場合も同じ。

2.和物の四滴茶入の場合
4種とも 蓋を取ったら、茶碗の右横に置いてお茶をはく。
唐物の四滴茶入にならっている。
又は、次のやり方もある。
濃茶にも使う水滴は、薄茶でも茶碗の横に蓋を置くが、
残りの3種については、現在では薄茶のみに使うので、
蓋は茶碗と膝の間に置く。

なお、
蓋をどこに置くかについては、上記は本勝手の場合であって、
逆勝手の場合は、濃茶 薄茶に限らず 蓋は茶碗と膝の間に置く。

下記も参照
2016-8-9 「四滴茶入

2024年9月14日土曜日

茶巾を固く絞る

茶巾を固く絞る

茶巾は、出来るだけ水分が少なくなる様に固く絞りたい。

通常、
右手の指と左手の指を使って、ひねって絞るが、
その時、親指と人差し指中指で、茶巾を押しつけて水を押し出す積りで、絞る様にする。
更には、
一旦茶巾を絞っておいて、
水屋の左に掛かっている布巾の間に、その茶巾を入れて、
一緒に絞ると 布巾が水を吸ってくれて更に固く絞れる。

以上

2024年9月7日土曜日

表千家 茶筅 (煤竹と黒竹)

 表千家では、煤竹の茶筅を使うのが決まりであったが、この度 変更があった。

表千家同門会会員向け月刊誌「同門」令和6年9月号に、
家元 猶有斎宗匠が書かれている通り、煤竹が払底しているので、

家元では、
令和6年(2024年) 天然忌の後の茶会や稽古から、
煤竹の茶筅の代用として黒竹(紫竹)の茶筅を用いる事にされたそうだ。

但し、家元の茶事等の特別な場合には今まで通り 煤竹の茶筅を用いられるとの事。

よって、表千家では特別の場合を除き、黒竹茶筅の「真」を使うことになる。

武者小路千家では、もともと黒竹茶筅を使われていたが、
表千家とは穂先の形が異なる。

表千家で使っている「真」の茶筅は緩やかに内側に曲がっている。
又 表千家では、濃茶も薄茶も同じ茶筅を使う。
よって、表千家の茶筅は、所謂 薄茶用の茶筅より若干剛めに出来ている。

武者小路千家型の茶筅は、曲がりが少なく真っ直ぐに近く先に向かって広がっている。
武者小路千家では、濃茶と薄茶では異なった茶筅を使われるようだ。

以上

2024年8月4日日曜日

木槿を切る時の注意

風炉の花の代表は 木槿ムクゲで、種類も多く、梅雨前から夏の終わりまで次々と咲いていく。
木槿は一日花と言われるが、実際は翌日の昼過ぎまで咲いている 1日半の花である。

よって、木槿を生けるには注意点がある。
朝見ると、今朝の花か昨日の花か 区別がつかない。
昨日の花を生けると、お茶の途中で萎れてしまう。

今朝 木槿を切ろうと思ったら、
昨日の夕方 咲いている花を全部落としておく。
これで、今朝咲いている花は、全部今朝の花になる。

又は、
昨日の内に 明日咲きそうな蕾の枝いくつかに紐で印を付けておく。
この場合、蕾の時には 咲いた花の向き、花と葉のバランスがどうなるか分からないので、咲いた時使えないかも知れないのが、難点となる。

花を切って違う場所で生ける為 持ち運びしなければならない場合には、萎れやすいので、着いた時すぐに水切りをしておいた方が良い。




2024年7月11日木曜日

炭点前 胴炭をつぐ順序 炉・風炉

 炭点前では 最初に胴炭からついで行くが、炉と風炉では順序が異なる。

炉の場合
炭斗に手を掛ける前に (炭斗を炉の近くに寄せる前に) 胴炭をつぐ。

風炉の場合
炭斗を風炉近くに寄せてから  胴炭をつぐ。


炭をつかみ始める時の火箸の扱い
炭斗を炉 (風炉) 近くに寄せる時、
男子は片手で、女子は両手で炭斗を動かすので、
炭をつかみ始める時の火箸の扱いは、男女で異なる。

男子
火箸を左手に持たせて 右手で炭斗を寄せるので、
火箸は膝横に突くことなく、左手の火箸を右手で掴むように握って、そのまま炭をつかむ。

女子
炭斗に火箸を戻してから 両手で炭斗を寄せるので、
火箸を炭斗から右手で取って、膝横に突いて掴むように握り直し、炭をつかむ。