2016年4月3日日曜日

美味しいお茶 茶の湯自慢

「江岑夏書」を四代 江岑が自筆で清書した「逢源斎書」が家元に伝わるが、
その中で、茶の湯が出来ると言うには長い年月がかかると言っている。

江岑が元伯宗旦から聞いた事と思われる。

「茶之湯は 二十年も致候ハては ならす候
極を 二三斤のミ候ハては ならぬと古より申候
今は 昨日今日の茶之湯いたし ちまんいたし候」

「茶の湯は 二十年も致し候はでは ならず候
極(良質のお茶)を 二三斤(一斤は約750g)飲み候はでは ならぬと古くより申し候
今は 昨日今日に茶の湯を始めたのに 自慢いたし候」

「茶の湯は、20年以上しなければならない」
「極(濃茶)を1,500g~2,250g飲まなければならない」
となると、
お茶の味が分かるレベル、上手に点てられるレベルに中々達しないのは当たり前の事と納得した。

濃茶1人前4g(~3.5g)として、375服~640服飲まねばならないが、
上手に点てた濃茶を月に3回(3服)飲んだとして、10年~18年かかるので、
上手に点てた濃茶を月に3回飲むのは大変な事であり、濃茶の味が分かる所に到達するのは至難の業と思える。

ある本には、茶事に月二回呼ばれたとして、極を二三斤飲むには20年かかると書いてあった。

また最近は、薄茶も もっと美味しく点てられるはずだと悩んでいる。

ある人は、

薄茶は、少し濃い目に、少量点てた方が良いと言っていた。
お客がもう一服欲しいと思う様に、点てなければならないと言っていた。

また、茶事に行っても美味しいお茶に当たる事は少ないとも言っていた。

これにも納得してしまった。
形や道具にばかりこだわっても、美味しいお茶を出さなければ茶事とは言えないと反省。



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