抱清棚
柄杓釘(竹釘)に羽箒を掛ける。 羽箒の下の畳の上に香合を置く。
中棚には濃茶入を飾る。
炭斗を運び出し、灰器も運び出す。
体を棚正面に回し、
右手で羽箒を取ってから、左手を使って持ち直して、右手で膝前に膝と平行に置く。
抱清棚
柄杓釘(竹釘)に羽箒を掛ける。 羽箒の下の畳の上に香合を置く。
中棚には濃茶入を飾る。
炭斗を運び出し、灰器も運び出す。
体を棚正面に回し、
右手で羽箒を取ってから、左手を使って持ち直して、右手で膝前に膝と平行に置く。
椿 炉の花
椿は、通常 蕾を生ける。
開いた花は生けない。
理由は色々あるのだろう。
冬の寂しさを表現する。
開いた花は派手すぎて侘の気分に合わない。
更に、開いた椿の花は何時落ちるか分からない。
但し、
杓子定規に椿は蕾だと言って、蕾だけしか生けないのも、能がない。
七代如心斎も、四月の炉の花に赤の藪椿の開いた花を生けられたと
伝えられている。
四月ともなれば、茶室の外の野山は花の最盛期であるからだろう。
小間であれば、侘の花入に茶味豊かな花が合うが、
広間であれば、小間と同じ花入と花では、取り合わない事も多い。
花と花入の調和、
花入と茶室の取り合わせ、
花と茶室の調和、も大切である。
ふっくらとして形の良い蕾、
少しほころび始めた蕾、
葉の色や形が良いもの
が喜ばれる。
以上
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拭き漆 茶杓
利休から古田織部、細川三斎、小堀遠州頃までは、ほとんど拭き漆の茶杓である。
三代 元伯宗旦になると漆を拭いてない茶杓が多くなるそうである。
拭き漆の茶杓(写真)
土岐二三 作。1640年頃~1730年頃の有楽流の茶人。
拭き漆 茶杓の作り方
400年前にはどの様にして漆を拭いたのか知らないが、
現代 拭き漆の茶杓などを作るには、
茶杓を仕上げてから、
透明漆を塗り、すぐにそれを完全に拭き取ってしまう。
毎日一回 同時刻に同じことをする。
20日~30日くらい経つと、拭き漆の茶杓が出来るそうである。
以上
十五夜
令和2年の十五夜(旧暦8月15日)は、新暦10月1日に当たる。
秋は旧暦では、7月8月9月の3ヶ月。
秋の真ん中の月(8月)を仲秋と言う。(旧暦7月は孟秋、9月は季秋)
旧暦8月15日の夜を十五夜と言う。
旧暦8月15日の月を「中秋の名月」「芋名月」と呼ぶ。「仲秋の名月」とも。
(芋は里芋で、サツマイモではない)
日没と共に東の空に昇り、明け方には西の空に没む。
これ以降、月の出は約50分づつ遅くなる。
「月々に 月見る月は 多けれど 月見る月は この月の月」(読み人不知)
旧暦9月13日の夜を「十三夜」と言う。
9月13日の月を「栗名月」「豆名月」と言う。
旧暦では閏月があるので、閏8月または閏9月が挿入される年がある。
その場合は、1年で十五夜または十三夜が2度現れることになる。
二度目については、それぞれ「後の十五夜」「後の十三夜」と呼ばれる。
直近の閏8月は1995年その前は1976年、閏9月は2014年その前は1843年。それぞれ「後の十五夜」「後の十三夜」があったことになる。
参照
2014年12月7日「月の色々の名称」
2021-1-22 参照を追加
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千家3代 元伯宗旦の話として
風炉と釜の高さ四代 江岑の話として、
利休は、小間の侘茶では「染付茶碗を使わなかった」とある。
利休が「紀三井寺」と言う染付茶碗を褒めていたので、
山上宗二がそれを手に入れたが、利休の侘び茶の道具組には染付茶碗の入る余地がないと合点して、山上宗二は割ってしまったと言う話しが残っている。
利休の道具の取り合わせは、厳しかった。
茶碗は長次郎の楽茶碗、茶杓は中節の竹茶杓、花入は竹の尺八や一重切り、木地の建水、竹引切の蓋置と見ていくと、
唐物の名物道具とは一線を隔てている
長次郎の茶碗を見て判る様に、
利休の好みは、形は歪んでいるがそれを感じさせない端正さ、色は地味。
一つ一つ独立して鑑賞するより、道具の取り合わせによって、ある美しさを創り出すようになっている。
利休は、目の感覚でなく、心の内面に美しさを生み出す内向的な性格の美を求めていた
必然的に、自分が創り出した侘の美しさの調和を壊すものは排除した。
染付茶碗を使わなかったのも当然と思われる。
利休所持 長次郎作 銘 禿(かむろ)写し