現在の「重ね茶碗」(島台茶碗も含む)は、多人数の客に濃茶を振舞う為のものであるが、
昔の重ね茶碗は、小人数の客にも用いられた。
天王寺屋会記には、
永禄11年(1568年)5月11日の津田宗及の自会(客3人)の茶事で、
「灰被天目 志野茶碗 二ツ重而茶立候」 (灰被り天目 志野茶碗 二つ重ねて茶点て候)
と出ている。
灰被天目茶碗と志野宗信旧蔵の青磁茶碗の唐物2椀を二つ重ねて持ち出して点前をしている。
重ね茶碗の点前は、室町時代から既に行われていたのが分かる。
江戸時代後期(文政10年11月、1828年)にも、十代 吸江斎が紀州徳川家 治宝公に、旦入作の小振りの島台茶碗でお茶を差し上げているので、まだこの時代にも小人数の茶事にも重ね茶碗が使われているのも分かる。
天王寺屋会記 :
堺の豪商 天王寺屋 津田宗達・宗及・宗凡三代の自他会記。
1548年~1590年。
下記も参照
2014年11月9日 「島台茶碗 如心斎 重ね茶碗」
2015年12月23日 「重ね茶碗 島台茶碗 客の作法」
2015年12月23日 「重ね茶碗 島台茶碗 亭主の点前 炉」
2015年2月8日 「会記 茶会記」
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