会記とは、茶会(茶事)の道具などを書き記したもの
戦国時代〜安土桃山時代にかけての有名な茶会記には、
天王寺屋会記(堺の豪商 天王寺屋津田宗達・宗及・宗凡三代の自他会記)
松屋会記(奈良の漆問屋 松屋源三郎家松屋久政・久好・久重三代の自他会記)
宗湛日記(博多の豪商 神谷宗湛の自他会記)
今井宗久茶湯書抜(堺の豪商 今井宗久の自他会記)
利休百会記(利休最晩年の自会記)
松屋会記(奈良の漆問屋 松屋源三郎家松屋久政・久好・久重三代の自他会記)
宗湛日記(博多の豪商 神谷宗湛の自他会記)
今井宗久茶湯書抜(堺の豪商 今井宗久の自他会記)
利休百会記(利休最晩年の自会記)
等がある。
昔は、茶会の記録(他会記)は、客が帰宅後に覚えとして記したもの。
客組、茶室、道具、献立等の手控えなので、記入形式の定めはない。
客組、茶室、道具、献立等の手控えなので、記入形式の定めはない。
大正の頃から、茶会記を亭主側で用意して、客に渡すようになった。
初めは、亭主が直接客に渡すのではなく、後刻客の手許に届けた。
その会記も亭主が書かずに、水屋詰めの道具屋等が亭主に代って書いていたので、会記の終りには「換記」等添え書きがしてあった。
初めは、亭主が直接客に渡すのではなく、後刻客の手許に届けた。
その会記も亭主が書かずに、水屋詰めの道具屋等が亭主に代って書いていたので、会記の終りには「換記」等添え書きがしてあった。
第二次大戦の後から客数が非常に多くなったので、一枚の紙に道具組等を書いて、待合等に置いておくようになった。
現在では、会記を印刷して客に渡す迄になった。
現在の会記の書き方は、掛物から始まる。
道具屋は、「掛物」ではなく、「床」と書く事も多い。
道具屋は、「掛物」ではなく、「床」と書く事も多い。
途中の順序について、表千家では、「茶入(茶器)、茶碗、茶杓」の順に記すが、他流では、「茶入、茶杓、茶碗」の順に記すところもあるらしい。
2016-12-12 修正
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