2017年5月11日木曜日

台子 点前 歴史

台子の点前は、室町時代(1336年~1573年)後期になって成立した。
室町幕府が安定していた時代に町人が実力を付けて来て、
室町時代後期戦国時代になって、町人の茶の湯が成立するようになってから、
台子の点前が行なわれるようになって来た。

将軍・大名が茶の湯を行っていた時代には、「風炉・押入式」の茶の湯が行われていた。

「君台観左右帳記」に出て来る茶の湯棚の図は、押入が工夫される前の「置き棚」で、壁にくっつけて置いて使用していた。

時代が下がると、壁をくりぬいて作り付けにした「押入」が出来た。
この押入には襖は付いていない。

(注)現代の住宅の押入には襖が付いているが、
これは客に見せる道具を置くのではなく、押入に雑物を入れる様になったので、
見苦しい為 襖を付ける様になっている。

室町時代の将軍・大名が行う会所の茶の湯では、「台子」は物を載せる小形の棚として使われていた。

会所の茶の湯では、お客のいる部屋ではなく、隣の部屋で同朋衆がお茶を点てて、小姓が天目茶碗を運ぶ、今の「点て出し」であった。
客の前で点前をする事はなかった。
つまり、台子を使って客の前で点前をすることはなかった。

町人の住居は、将軍・大名のように広くなく、押入を作る広さの余裕がなかったので、
別室ではなく、物を載せる棚であった台子を使って、客の前で点前をする「台子の点前」が工夫されたと考えられる。

お茶(抹茶)を飲む習慣が一般人まで広まったのは、室町時代のことである。
文書や絵図によれば、室町時代1400年頃には東寺などの門前で参拝客に茶湯一杯を一銭で立売りする様になり、一般人にも喫茶が広まったと考えられている。
1500年代後半 安土桃山時代の洛中洛外図にも立売の姿が描かれている。


下記を参照
2014年10月30日 「君台観左右帳記 足利義政

2017-6-17 修正

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