四代 江岑の話として、
利休は、小間の侘茶では「染付茶碗を使わなかった」とある。
利休が「紀三井寺」と言う染付茶碗を褒めていたので、
山上宗二がそれを手に入れたが、利休の侘び茶の道具組には染付茶碗の入る余地がないと合点して、山上宗二は割ってしまったと言う話しが残っている。
利休の道具の取り合わせは、厳しかった。
茶碗は長次郎の楽茶碗、茶杓は中節の竹茶杓、花入は竹の尺八や一重切り、木地の建水、竹引切の蓋置と見ていくと、
唐物の名物道具とは一線を隔てている
長次郎の茶碗を見て判る様に、
利休の好みは、形は歪んでいるがそれを感じさせない端正さ、色は地味。
一つ一つ独立して鑑賞するより、道具の取り合わせによって、ある美しさを創り出すようになっている。
利休は、目の感覚でなく、心の内面に美しさを生み出す内向的な性格の美を求めていた
必然的に、自分が創り出した侘の美しさの調和を壊すものは排除した。
染付茶碗を使わなかったのも当然と思われる。
利休所持 長次郎作 銘 禿(かむろ)写し