杉板を曲げて、桜皮などでとじて作ってある。
木地の物は本来使い捨てのものなので、使われた後に理由があって塗られた物が残るなどの他は、古い木地の面桶は殆ど残っていない。
現在では、初めから塗り物(溜塗、春慶塗など)になっているものもある。
武野紹鴎や利休が工夫したとの説がある。
天正18年(1590年)、秀吉が小田原城攻めの後に湯治中の有馬温泉で茶会を催したが、
その有馬茶会の道具組や客組を、秀吉の同朋衆から有馬の阿弥陀堂に知らせた手紙(五島美術館蔵)に、
「水こほし めんつう」「利休茶たう(茶頭)被仕候也」とあるので、
その頃、面桶の建水を利休が使っていたのは間違いない。
木地の曲建水は、専ら小間に用いる。
風炉 炉共に用いる。
更に、木地曲建水と青竹引切り蓋置を取り合わせると、格調の高さと清新さをお客に与えると共に、他の道具を引き立てる効果がある。
曹洞宗の開祖「道元」が1200年代中頃に著した「正法眼蔵」の「洗面」の中に出て来るそうだ。
いつの間にか、食べ物を入れる曲物を面桶(めんつう)と言うようになった。
江戸時代には、乞食が施しを受ける器(陶器でも金属でも)を面桶(めんつう)と言うようになった。
落語中興の祖と言われている三遊亭圓朝(幕末から明治に活躍)の三題噺(大佛餅)の中に、乞食に対して「めんつうを だしな」と言う場面が出て来るそうだ。
2017-2-6 修正
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